カテゴリー「31特集「建築の持つ力」」の記事

2004.11.05

建築の持つ力—建築は世界を変えうるか(2)—

 なんか、どう考えても私の独り相撲みたいなことになってきました。これまで皆さんから有益かつ示唆に富んだご指摘をいただいたことをきっかけに、いろいろと反省し、実はこのまま止めようかとも考えましたが、途中で止めるのも悔しいので、無理矢理続けます。つまんなくなっちゃった人は無理に付き合わなくていいですけど、できたら、ご批判はいただきたい。一応、初めての方のために、前回はこちらです。


■力をもつ建築は存在する

 『建築』に力があるのか、については様々な議論があろうかと思いますが、私のわずかな経験から判断すれば、力を持つ建築は確かに存在すると思っています。ただし、それが「世界を変え」る程の力があるかどうかは、今のところわかりません。

今回の議論では、前回いただいたコメントより反省し、『建築』と建築とを使い分けてみます。
『建築』
   建築と呼ばれるものの総体。
   私のイメージでは、大文字の建築が近いかも。
   「建築の解体」とか言う場合の『建築』
 建築
   個々の建物(単体)。
   「2丁目の角に建っている建築」という時の建築
 それからもう一つ、コメントからの反省を踏まえ、建築という言葉にやたら多くの役割を与えないようにしようとしています。とりわけ、建築の人格化・神格化については202さんのご指摘の通りだと思いますので、これを注意深く避けようと思います。でも、ものごとを人格化して考えようとするのは、私の思考の癖のようなものでもありますから、どこまで排除できるかは謎ということで・・・
だいいち「建築の力」という言い方が既に建築を人格化しているわけですから、言い訳のしようもない。わはは。


■伊勢神宮で考えたこと

 まずはじめに、建築が持つ力の例として、私の「建築の力実感体験」の例をあげましょう。

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2004.10.19

建築とはなにか—建築は世界を変えうるか(1)—

ユニバーサルな視野で建築を外側から見つめ直す。世の中に必要なものは、本当は何なのかを見つめ直す。そういう作業が僕たちに求められているのだと思っています。軸足が建築だけにどっぷり浸かっている(って、そういう人はめったにいないんだけど)ケンチクカ達に見えないものが見えるような人でありたいです。
───あさみ
親愛なるあさみさんと意見を異にします。わたしは、建築だけにどっぷり浸かった建築家であるし、建築こそが世界を変えると思っています。ただ、仕事をする上で対外的に、ほかの建築家とはちがうように振舞える、ということなのです。そしてこれがわたしの必殺技になりうるのです。
───kenchikuka
 わたしのお気に入りブログ「文系で建築家で起業家の女の子の日記」でのやりとりから
 今日はちょっと固めのお話になりそうです。
 私の敬愛する建築家であるkenchikukaさんの一言から、いろいろ考え込むことになりました。彼女は、相変わらず、確信的に恐ろしいこと(決して悪い意味ではない)を言ってのけます。今のところ本紙編集長は、彼女の確信に対抗するだけの議論ができるとは思えません。

 しかし、編集長なりに、この一言に影響を受けいろいろなことを考えました。「建築って何なんだ?」、「建築のもつ力」、「建築の目的について」などなど。そして、とりあえず考えたことは書き留めておこうと思いました。結論なんか出そうにない話ではありますが。おつきあい下さい。

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