建築の持つ力—建築は世界を変えうるか(2)—
なんか、どう考えても私の独り相撲みたいなことになってきました。これまで皆さんから有益かつ示唆に富んだご指摘をいただいたことをきっかけに、いろいろと反省し、実はこのまま止めようかとも考えましたが、途中で止めるのも悔しいので、無理矢理続けます。つまんなくなっちゃった人は無理に付き合わなくていいですけど、できたら、ご批判はいただきたい。一応、初めての方のために、前回はこちらです。
■力をもつ建築は存在する
『建築』に力があるのか、については様々な議論があろうかと思いますが、私のわずかな経験から判断すれば、力を持つ建築は確かに存在すると思っています。ただし、それが「世界を変え」る程の力があるかどうかは、今のところわかりません。
今回の議論では、前回いただいたコメントより反省し、『建築』と建築とを使い分けてみます。
『建築』
建築と呼ばれるものの総体。
私のイメージでは、大文字の建築が近いかも。
「建築の解体」とか言う場合の『建築』
建築
個々の建物(単体)。
「2丁目の角に建っている建築」という時の建築
それからもう一つ、コメントからの反省を踏まえ、建築という言葉にやたら多くの役割を与えないようにしようとしています。とりわけ、建築の人格化・神格化については202さんのご指摘の通りだと思いますので、これを注意深く避けようと思います。でも、ものごとを人格化して考えようとするのは、私の思考の癖のようなものでもありますから、どこまで排除できるかは謎ということで・・・
だいいち「建築の力」という言い方が既に建築を人格化しているわけですから、言い訳のしようもない。わはは。
■伊勢神宮で考えたこと
まずはじめに、建築が持つ力の例として、私の「建築の力実感体験」の例をあげましょう。
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