15年
相変わらずうまく書けない話題を。
昨日は静かに家で過ごしました。
あの災害を乗り越えて、色々と前向きに活動されている人たちがいます。それはとても素晴らしいことだと思いますが、編集長は、どんなイベントにもコミットできず、結局家で一人で過ごすことになりました。
震災10年のときと、13の時に少しだけ書きましたが、基本的に私の思いは前にも後ろにも進んでいません。たぶん、きちんと消化できていないのだと思います。
毎年、この日の前後はテレビを避けて通っているのですが、知人に借りたDVDを見るためにテレビをつけてしまって、ちょうと「ひょうご安全の日推進県民会議」の式典をやっているところに出くわしてしまいました。
息子さんを震災でなくした遺族の方のお話を聞いて、さんざん涙を流し、結局、午後は全く何もできなくなりました。災害に遭った多くの人にとって震災は終わっていません。私にとってもそうです。
2年前の文章を、改めて採録して今日のところはおしまいにします。
能天気に明るい未来を語るのも、うつむきながら失ったものを数えることも、勢いよく怒りを表明することも、何かウソのような気がして、上手に書けません。
あれから街はずいぶんとその風景が変化しています。一方、何も変わってないよなあと思うこともあります。
「覚えておくこと」そして「伝えること」、また、もし何かが起きたら「たたかう(何と?)ための心の準備をしておくこと」を淡々と続けることでしか、自分の経験や思いや職能と向き合う方法はないのだろうと、なんとなく考えています。
──あさみ新聞080117「13年 」より
合掌
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