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2009.01.13

精道村役場の模型

Seidomurayakuba

えへ。随分前に書いた記事が下書きのまま残ってました。たぶん引用文が長過ぎて、本文の量が少ないという理由で社内記事審査を通らなかったものと思われます。蔵出しセール中につき、社内審査スルーで掲載します。

芦屋市役所に行く用事がありました。行くと役所の地階ロビーで気になる模型を発見しましたのでご報告いたします。模型に添えられたブレートには、精道村役場の縮尺=1:75の模型であることと、大正12年に完成して、昭和58年に解体されたことのみが書かれていました。

精道村役場についてちょっとだけ調べてみましたが、大正12年に竣工したことぐらいしか分かりませんでした。どこに建っていたのかも、ネット上の資料だけでは判別せず。市史あたりをあたれば判明するかもしれませんが、編集長はヘタレなので、今のところそこまではやりません。

広報あしやに、日本一と言われた市役所との記述がありますが、何の日本一だったんでしょうね。

明治二十二年(一八八九)、わが国の憲法が発布された歴史的な年に精道村が誕生しました。日本の近代経済機構が新しく形成されるにつれて、芦屋の地は、都市近郊の最適の住宅地として着目されるようになりました。それまで精道村の中心的な産業であった農業は、著しく変容し、大正から昭和にかけて、交通の発達とともに芦屋川を中心に住宅街が形成されて行きました。
山と海が迫り、白砂青松の自然環境と立地条件は、近代文学の名作の舞台にもなりました。住宅地の形成に伴い、地元の人たちは、耕地整理の実施、芦屋川改修工事、宅地造成駅の誘致などを積極的に行いました。
都市施設の充実は、国鉄芦屋駅の開設(大正二年)、阪急芦屋川駅の開設(大正九年)、日本一といわれた精道村役場の新築(大正十二年)、打出丘陵、宮川上流の開発、六麓荘の開発、上水道、電話の敷設、阪神、阪急バスの開通、郵便局、警察署、消防署などの設置、衛生施設の優先的設置、公私立学校の設立などが相次ぎました。
大正八年の人口は八千六百六十六人でしたが、昭和六年には三万人を上回りました。
──広報あしや2000年11月1日号「芦屋市60年の歩み」(岩本昌三氏 (元芦屋市立美術博物館副館長)著)より引用

構造はなに?RCっぽく見えます。だとすれば、兵庫県内でもかなり早い時期のRC建築ということになります。・・・「日本一」の記述の意味を深読みしながら考えると、たぶんRCなんでしょう。

詳細ご存知の方はご教示下さいませ。


#写真をアップし忘れてましたので、入れときました。

2009 01 13 07:00 午後 [07文化欄 (歴史的建物)] | 記事

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投書(コメント)

 こんにちは。
「精道村役場」の写真は、私の自作の精道小学校についてのページに、随所に登場しておりますので、ご覧になって下さいませ。
http://homepage3.nifty.com/ashiya/seisho/index.htm

 昭和20年の空襲で、焼け野原の中、この「精道村役場」(この当時は芦屋市役所)、「精小の旧鉄筋校舎」、そしてかつての「県芦高の本館(宮川国民学校)」の3つの3階建て鉄筋造が、近距離で焼け残って立ち並ぶ姿は、当時の荒涼たる風景の記憶として語り継がれています。

投書者: 若林 伸和 (2009/01/15 19:39:29)

若林さま

すてきなサイトをお持ちですね。
すばらしい。何で編集長は、若林さんのサイトを見落として
しまったのでしょうか。いやはや申し訳ないす。

読者の皆さんも若林さんのサイトをどうぞ。・・・いやホントに。

編集長も勉強させていただきます。
ありがとうございました。

投書者: あさみ編集長 (2009/01/15 20:10:50)

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