どうなる豊岡市役所(2)
さて、年度が明けましたね。いろいろと年度末を引っ張っている部分もありますが、それを理由に更新をサボっていると、多方面からお叱りを受けそうなので、また、定期更新の季節に突入させていただきます。
復帰第1弾は最近竣工した小さなトイレの話題といきたいところですが、まず前回の記事のご報告をしておかないといけません。
前回の記事「どうなる豊岡市役所」で、豊岡にお邪魔する予定についてお話いたしました。
その様子は、但馬の中尾さんが但馬の『近代化遺産』で「速報!RE豊岡市役所 ワークショップを終えて」として公開されていますので、ぜひそちらをご覧下さい。
川島先生の講演「豊岡市役所の魅力」は、私にとっては初めて聞くこと満載で、大変刺激的で面白かったです。川島先生ありがとうございました。
川島先生のお話は、編集長が勝手に要約すると
●戦前のRC造の「市役所」が現存する例として極めて稀少 (京都市、名古屋市、大牟田市、豊岡市ぐらいしか残ってない)
編集長も知りませんでした。どうやらそういうことだそうです。
●当時の理想的都市像が反映された復興都市として貴重
北但大震災(1925,T14年)で豊岡の市街地は壊滅的な被害を受けました。被害は甚大でしたが、それゆえ復興計画として新時代の理想的都市像が描けたという背景があったようです。そして、都市規模が大きくなかったため、それがかなり忠実に実現でき、それがそのまま残っているというあたりが豊岡のまちの貴重さであるということでした。そして点ではなく面としてそれが現存しているということも。
また、当時の建物が、市役所・消防署・郵便局・銀行と、群として残っている(警察署はなくなってしまいましたが)ことが、その貴重さを高めているということでした。
いやあ、大変勉強になりました。
兵庫県は人材が豊富だったということも学びました。
豊岡市役所の設計者「原科準平」の他、御影公会堂の「清水栄二」、国立生糸研究所の「置塩章」など、これまであまり編集長がまじめに意識してなかった建築家の名前がたくさん出て来てなかなか面白かったです。編集長としては、これから少しこうした人たちの足跡を追いかけてみたいと思っています。
そのあとの市民の皆さんで意見を出し合うというプロセスは、皆さんなかなか面白いアイデアを出されていて、これもとても面白かったです。建物が貴重であることと、市役所の存在が中心市街地にとって重要であることは、少し分けて、きちんと両方考えないといけない、ということを痛感しました。
今後も議論を続けましょうということでしたので、次回もまた楽しみです。
■付記
「都市像」と書きたい思って「としぞう」と打つと「敏三」と出てしまうのは、私のMacだけなんだろうか・・・。ま、兵庫県仕様ということで(笑
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コメント
ああた、幾ら何でも、ウチの職場のワードも「としぞう」は
「都市像」でまずは返還しますよってに(笑)。
まあ、原科・置塩は、同じ明治十七年の静岡県生まれだから、
歩んだ道は多少違っても(置塩:東京帝大、原科:工手学校)、
公にあった置塩は都市計画のプランニングを、原科は建築の面
をカバーするという連係プレーが自然と出来たのではなかろうか。
投稿: ドクターフランキー | 2008.04.07 01:12
敏三のほうを、日頃から「としさん」と呼ぶ習慣を身に付けとくといいと思います。任期中は、だけど。
なにげに「親しみ」も、こもるし。
あ、いや、本題のほうは
「ボクはこの建物の前を、通ったことある!」ノデ、
「みんなが納得するように保存利活用される」ことを、
期待してます。
投稿: すぽん子 | 2008.04.07 08:46
敏三ネタ。喰い付きがいいすね(笑
ま、市役所がどうなるかは、あと1年ぐらい市の委員会でも考えるみたいなので・・・。のんびりというワケにはいかないけど、少しじっくり考えたいですよね。
投稿: あさみ編集長 | 2008.04.07 12:18