←[大沢の民家] | あさみ新聞表紙 | [ひょうご観光大使] →

2006.11.21

藍那の集落

それはそれは美しい集落でした。
なんかね、正直なところ、神戸市民としては尾道とかをありがたがっている場合じゃないです。

Aina_01 Aina_02 Aina_03
左:藍那の集落全景。谷筋を昇る小さな集落です
中:上から見るとこんな感じ、基本的に瓦屋根ですね
右:漆喰の蔵。ブタハナ窓がかわいらしい。

Aina_04 Aina_05 Aina_06
左:坂道の路地。野面の石垣。編集長。こういうの、かなり好きです。
中:歩けばそこに次々と美しい集落の風景が現れる。路地の魅力ですね。
右:あ、ここにもありました。ブタハナの蔵。たいがいこういう丸い穴がついてます。

Aina_07 Aina_08 Aina_09
左:川沿いの石垣と蔵
中:左の蔵のブタハナディテール
右:土壁の蔵もありました。やっぱりブタハナ。

ということで、えらいきれいなまちでした。以上。


2006 11 21 12:20 午後 [04紀行欄 (建築・まちなみ行脚)] | 記事

この記事の関連書籍はこちら
(実は3つのうち2つが編集長のアフェリエイトという仕組み)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/26464/12767696

この記事へのトラックバック一覧です: 藍那の集落:

投書(コメント)

平成5年に神戸市教育委員会が編纂した、「神戸の茅葺き民家・寺社・民家集落」(神戸市歴史的建造物実態調査報告書)が、とても良いですよー。
(神戸市歴史的建造物実態調査報告書)は、洋館と農村民家の二冊があって、どちらも手元にあるとよいです。(あ、いるかにはあるわな。失礼しました。この報告書、神保町では1万円以上の高値で取引されているのを見たことがあります。)

1995年頃、震災調査と復興まちづくりに辟易していた頃、研究と称して毎週毎週、茅葺き職人にくっついて北区・三木・淡河・三田・吉川あたりを見て回りました。ほんと、すばらしい。これほど民家の美しい地域は、他には京都北部・滋賀北部くらいではないでしょうか?

投書者: hira (2006/11/21 13:13:48)

はい。「神戸の茅葺き民家・寺社・民家集落」を片手に廻っております。
洋館の方はあったかなあ。ないワケはないんだけど、、、。文化財保護審議委員の人がいたりするもので、、、。

投書者: あさみ編集長 (2006/11/21 19:10:09)

hiraさん
「震災調査と復興まちづくりに辟易していた頃、研究と称して毎週毎週、茅葺き職人にくっついて北区・三木・淡河・三田・吉川あたりを見て回りました」
そうだったんですか!

投書者: Tempei元編集長 (2006/11/21 19:40:51)

おい、俺んちの裏山の集落やないか。
 藍那に洋館はありません。しいて言うなら集落の神鉄粟生線と県道の向こう側にある藍那小学校の校舎くらいです(あれは昭和30年代かな)。
 私の母方の実家のある淡河町の手前の八多町も茅葺が結構多くて、わりあい民家系の感性は低学年の頃から磨いていたのかもしれません。
 小学校の頃、理科の自然観察で星和台6丁目から徳川道経由で、よく歩きました。いまは途中の道は明石海峡記念公園の一部になっているみたいですね。

投書者: ドクターフランキー (2006/11/21 21:09:35)

ドクター。確かに洋館はありませんでした。
私が洋館と騒いだのは「神戸市歴史的建造物実態調査報告書」の洋館編というのがあったかなあ、というヒトリゴトですので、あまりお気になさらず。

ドクターフランキーさんの感覚で、淡河の手前に八多というのは、どういう感じなんだろうと思いましたです。どっから見て手前なんだろ。北区的感覚がよく分かりません。

明石海峡公園でお仕事中です。実はそのためのリサーチ中なのでした。

投書者: あさみ編集長 (2006/11/21 21:25:28)

「手前」感覚というのは、やはり「有馬郡」八多村から「美嚢郡」淡河村へ移る、という越境感覚に起因するものです。淡河の中心地・淡河本町の旧街道筋をゆっくりと流すたびに、「摂丹型」妻入り、「播州型」平入りが混在している矢波を見るたびに「境目」だなあと思ってしますのです。
 そう淡河本町の旧本陣の建物も(一部外構がブロック塀に変わっているが)なかなか見ごたえがありまっせ。

投書者: ドクターフランキー (2006/11/22 0:32:16)

あさみ編集長>
>「神戸市歴史的建造物実態調査報告書」の洋館編というのが
>あったかなあ、

 あっしはなかったと思っているのですけど。「洋館編」」は、教育委員会の「神戸の近代洋風建築」のことかなぁと勝手に解釈しておりました。

投書者: ドクターフランキー (2006/11/22 20:21:21)

tempeiさん、
>そうだったんですか!

そうだっだです。なんかこう、震災後の建築の現象採集やら、建築の提案からだんだんと震災後の社会へと視点がシフトして行った時、すんげぇ暗くなってきて、んじゃぁと、農村に出かけることにしました。別に震災を避けてたわけじゃないですよ。(まぁ、やってたし。) 
震災と民家ってことで今和次郎に向かい始めたのもこの頃で、が故に「トタン張り茅葺き屋根の研究」などという、考現学アプローチを気取ってみたりしていました。(あー、はずかちい)

フランキー先生
>教育委員会の「神戸の近代洋風建築」のことかなぁと勝手に解釈しておりました。

フランキー様、おっしゃる通りです。ちっと手元に無いので確認できず(誰か持って行って返さんなぁ) テキトウでした。すみません。
坂本先生と足立先生の近代洋風、斉木先生の農村民家、と、二冊が似たような時期に出ていまして、まぁ、ペアなのかなぁ、と認識しています。

>「手前」感覚というのは、やはり「有馬郡」八多村から「美嚢郡」淡河村へ移る、という越境感覚に起因するものです。

同じことなのかもしれませんが、私の頭の中では、淡河は北区ではなく、淡河である、という認識であります。淡河という地名は吉川と同格にあつかっていました。淡河に来ると、「淡河に来たぞ」と感じましたねぇ。八多は北区で違和感が無かったけれども。(なんでやろ)


投書者: hira (2006/11/23 0:24:50)

投書する