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2006.10.14
学校への愛着は校舎に宿るのか
前回(060929)の記事「湯村温泉のケーキ」に、興味深いコメントをいただいたので、ちょっと引っ張ってみましょう。長い引用かつ、一部編集しておりますがお許しを。
先ほど、私の母校(小学校)の閉鎖が決まったとのニュースを知りました。神戸新聞がスクープで伝えたものらしいのですが(多分本当?)。。そんな話を聞くとやはり寂しいものです。(akanem特派員)
しかし母校がなくなるのは、なかなか悲しいものがありますね。(編集長)
母校が存続していても校舎が建てかわってしまっていては、あまり愛着を感じないです。
愛着があっても今の世の中、そう簡単に校舎の中に入るわけにはいきませんが。(ちはる支局長)
そうそう。その母校にすら簡単に入れない社会状況ってどうよ、と思わないではありませんね、時代の趨勢ってのはそういうことなのかと半ばあきらめムードな編集長ではありますが、、、、。
しかし愛着ってのは母校になのか、校舎になのかってのは深いテーマですね。ちはる支局長が特殊ってことはないですか?
読者の皆さんはどうでしょう?(あさみ編集長)
いやいや~そんなことないと思いますよ。
私もどちらかといえば校舎に愛着があるくちです。
現在息子の通っている幼稚園舎は私が通ったそのものです。
小学校舎も小改造はありますがほぼ昔のまんまです。
地域行事の打ち合わせなどで入ったりしていますが何気に「あー、こんなんやったなぁシミジミ」となっている自分がそこにはいます。(左官理事)
──あさみ新聞「湯村温泉のケーキのコメント」より引用
編集長は母校が消滅するのって悲しいよねと単純に思っただけなのですが、ちはるさんのコメントで、母校への愛着の形ってモノへの愛着として現れるんだなあと認識を新たにしました。思えば編集長の母校への思いを振り返ってみるに、確かに母校のイメージというのは校舎や校庭の映像を伴って思い出されます。
そして、よくよく考えるに、これはすごいことだなあと思うのです。
自分の母校に愛着を感じている、という時の母校というのは「学校」です。この場合の「学校」というのは、言葉の定義通りに言うなら、自分がかつて所属(隷属)していた組織(あるいは概念といってもいいですね)としての「学校」のことです。でも、私たちが母校を思い浮かべるときの「学校」というのは、必ずしも組織あるいは概念としての学校ではなく、その建物であったり校庭であったり、その空間を思い浮かべますよね?
あ「私は空間を手がかりに母校を思い出したりしない」という方は是非コメントを残して行って下さいね。ぜひぜひ。
こうやって考えて行くと、いろんな場合が想定されてきますね。試しに少し考えてみましょう。
●建物は残っているけど学校自体はなくなっていたらどうか?
●学校が建物ごと引っ越しちゃってたらどう?
●学校の名前が変わっちゃってたらどうか?
●学校は存続しているけど、校舎は明治村に移築されていたら?
などなど。いろいろ考えると自分と母校の建物との関係が見えてきませんか?
編集長の「母校への思い」というのをもう少し突っ込んで考えると、それは単に校舎や校庭のみではなく、恩師の姿や、友人たちであったりもしますし、特に大学なんかは概念としての学校の要素も大きいです。高校は校風のイメージの影響も大きいですね。ただ、やっぱり母校を思い出す時の手がかりはキャンパスであったり、ある一部の空間のイメージであったりします。
この話、以前やった「空間の力、建築の力」とかいう議論とつながりませんかね。無理あるか?
変なまとめ方でした。それではまた。
2006 10 14 08:00 午前 [03評論欄 (建築論)] | 記事
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投書(コメント)
母校が存続していても新しく様変りした校舎、また周辺の状況だと一度地元を離れた者としては初めて来た場所となんら変わりないです。
小中学校なんて一度も同窓会、行ったことないですけど。
学校と地域のつながりを考えると統廃合でなくなることだけが問題ではないと思います。
新しく学校ができて校区が変わるというのもコミュニティの中の学校という視点から重視すべきことだと思います。
投書者: ちはる支局長 (2006/10/15 10:06:24)
もちょっと考えてみましたが、
私の場合自分の通っていた時代は特徴ある校舎だったものが、
いつの間にか建て替わった校舎が教育委員会のマニュアル通り
というような隣近所の学校とどこも同じような外観になっているというところに愛着のわかない原因があるかもしれません。
もっと誇れるような校舎なら新しくて自分が使っていなくても、卒業生として愛着がわくかも・・・・そんな気もしてきました。
投書者: ちはる支局長 (2006/10/15 13:09:46)
校舎への愛着ですか・・・。
私の場合校舎ではなく、その土地にあるその学校の存在に愛着があるかな?
私の母校である高校は公立女子高校ですが、ずいぶん前から共学へ移行させる予定があると聞いています。
反対も多く実現はしないと思われますが、共学になったら寂しいですね。
話は変わりますが、高校時代学校の敷地内に、自転車置場をつくるために、桜の木を伐採したことがありました。
その時、当時の学生が校長に「生徒に無断で桜の木を切るとは何事か!」と言いに行ったそうです。
校長はその後、生徒たちが集まる会の挨拶の時に涙を流して謝罪しました。
そんな桜の記憶や、古い講堂の記憶は自分の中に残っているので
現在の校舎がどうであれ、当時の校舎への思い出に愛着がありますね。
今現在の校舎の姿は、今現在の時代の学生たちに合った校舎であってくれたらいいなと思います。
投書者: みゆう (2006/10/16 11:14:59)

