« 都城市民会館について(2) | トップページ | 赤いイタリア文化会館 »

2006.04.15

都城市民会館について(3)

都城市民会館の本紙記事に、山形さんという方から投書欄に貴重なご意見をいただきました。ありがとうございました。おっしゃることが、大変ごもっともであり、編集長も考えるところ多ゆえ、この投書にレスを返そうと書き始めたら、えらい長くなってしまいました。そこで、ふと「こりゃ本紙記事で取り上げたら1本分できるな」という小賢しい計算が働きました。そんな事情で、ここに山形さんのご意見を引用させていただき、コメントをお返しする形にさせていただきます。

山形さんがお名前だけのご登場なのが大変残念です。普段どのようなご意見を表明されているのか、次回はぜひご自分でサイトURLを残して行って下さいね♪

すみませんが、今日の記事、強烈に長いです。皆さん、飽きずにつきあって下さいませ。

────────────────────

さて、まずは件の投書の引用から始めましょう。

>これが収益施設であれば、赤字覚悟の建物保存なんて
>ありえませんが、行政は市民の最大の幸せを追求する
>ことが仕事なのですから、何が最大の幸せなのかをトー
>タルで考えたらいいワケです。予測や計算は難しくても、
>判断そのものはそんなに難しくないハズ。

本気でおっしゃってますか? 収益性は簡単に出ますし、その予測や計算は簡単ですが、「市民の最大の幸せ」なんてどうやってはかるんでしょうか。それができれば苦労しないのですが。

残せといって署名運動をするのは簡単でしょうが、それは公共施設にあっては、そこに住む住民の方たちに、追加の税負担をしろというのと同じことです。どうせその署名をする連中は一文たりとも負担するわけじゃない。壊すと廃棄物が出るなどという賢しらなことをおっしゃいますが、その一方で新築の建物のほうが設計次第では省資源・省エネルギーになり、長期的にはかえって環境負荷は少ないかもしれません。したがいまして編集長殿のやろうとしていることは、浅はかな思いつきに基づく浅はかな行為だと考えます。

もし本当に「最大の幸せ」が簡単な判断事項だと思われるなら、横から口をはさむのはやめて、簡単な判断を市が下すのを待てばいかがでしょう。おそらく「壊せ」というのがその最大の幸せに資する判断になるでしょうが。
──あさみ新聞「あさみ新聞: 都城市民会館について(2)」のコメントより引用

ご意見ありがとうございます。ご投書いただいた全てのご意見に部分的に賛同いたします。山形さんのご意見を受けて、編集長としてもいささかの反省を込めて、いろいろと考えた結果、おかげさまで色々考えがまとまってきました。少し長くなりますが、編集長から、ご投書へのコメントとして、若干の意見を表明させていただきます。

────────────────────

おっしゃる通り、市民の最大の幸せを定量化しようなどとしたらそれは大変難しい議論になると編集長も思います。そんなもの定量化しようなんてそんな早まったことを考えてはいけません。「はかる」という発想が既にカタいです。まさか山形さんが行政の方とは思えませんが、発想がかなり行政寄りに偏ってはいないでしょうか?もう少し柔軟に考えてみてください。

この記事の最後に述べるように、そもそも「判断が簡単」という編集長の意見が指し示そうとしているのは(浅はかな編集長の書き方が悪かったのですが、、、すみません)実は山形さんのおっしゃるような意味ではありません。しかも、その判断はまず最初に市(あるいは市長)ではなく、当事者たる市民が行うべきであると編集長は考えています。

加えて申し上げると、山形さんのご意見「収益性の予測、計算が簡単である」について、この点に関して編集長は素人同然でしてその正当性を評すべき知識を持ち合わせていません。ゆえに判断を留保します。ただ、収益性の将来予測については不確定な項目も多いと考えられ、かの国交省ですら有料道路の収益性について間違った計算をし続けていることは衆目の一致するところでしょうから、「あんまり簡単に考えると痛い目に会うんじゃないか」というのが、これまでの経験から言える編集長の経験則です。簡単かつよき方法があれば、是非ともご教示いただければと思います。
また、そもそもこの話を経済原則みたいなシホンシュギ的発想で読み解くことには無理があることは、再三にわたってこの新聞紙上で編集長が述べ続けている(つもり)通りです。

市民の税負担についても、まさに山形さんのおっしゃる通りです。市民会館を残せば、その維持管理に関して市民に税負担を強いることになります。でも、取り壊すのにもお金がかかり、駐車場や公園にするにもお金がかかり、これを維持するのにもお金がかかることを忘れてはいけないでしょう。金額の大小はありこそすれど税負担を強いるという点では、保存しても取り壊しても似たようなものです。

どちらの道をたどるにしても、全ての事業そのものをPFIにするとか、民営化するとか、運営の指定管理者を市民NPOを含めて考えるとか、工夫の余地は必ずあります。繰り返しますが、それは取り壊して何かに利用した場合も、保存して運営した場合も同じことです。つまり、この議論を一面から切り取って論じようとしてはならない、ということなのです。この問題は、おそらくご投書の数行で語りきるには難しい問題なのだろうと思います。

さらに、これも山形さんがおっしゃる通り、この件に関して市外の利害関係のないものが決定権を持つことはありえません。そんなことがあるはずがないですよね。(意見を表明することについては誰でもできるのでしょうが)

さて、ここで、改めて確認しておかなければならない事項があります。

ご存知を承知で失礼ながら申し上げれば、徴税というのは市民からいたずらにお金を奪うことを目的としているワケではなく、公共の福祉のため・市民の将来にわたる幸せのために使うお金を集めていると理解すべきです。であれば、税負担の問題というのは、負担に見合った将来の幸せが実現されうる計画であると、どれだけの人が思えるかという問題でもあります。単に税を「市民の負担」と考えると議論の方向を見失うので注意が必要です。

さらに加えて言うなら、この「どれだけの人が思えるか」ということこそが重要で、このことを「将来の幸せを保証されえるか」と読み間違えるとまた痛い目に会うことにも注意が必要です。すべからく施策というのは(たとえは悪いですが)ギャンブルみたいなものです。将来の保証なんて誰にもできないのですから、市民がリスクを背負って掛け金を払うというというのが自然なありかたではないでしょうか。であるとすれば、皆納得のいく出目に掛け金を張りたいと思って当然ですよね。

2003年5月に都城市が行った「12万人のふれあいアンケート」によれば半数以上(改修による活用を含めた建物存続を希望した人の合計52.4%)の方がこの建物を「残したい」と回答しているそうです。また市役所の職員でも意見は半々に割れている様子でもあります。

具体的には都城市のサイト「市民会館の今後の方策について」から「都城市民会館管理運営対策プロジェクトチーム」による「中間報告書(H17.3.7)」および「最終報告書(H17.12.14)」をダウンロードしてお読みください。

おそらく、議論を尽くせば、市民のうちで建物存続を希望すると答えた人の中にも「そんなに金がかかるなら止めよう」という人も出て来るでしょうし、逆に取り壊すのが良いと答えた人の中にも「あんなものいらんと思ってたけど、やっぱり市民のシンボルでもあるよな」と思う人も出て来るでしょう。そのプロセスをこそ大事にしましょう、と編集長は言いたいのです。

────────────────────

さてさて、

「浅はかな思いつきに基づく浅はかな行為」とは、なかなか辛辣ですが、まあ、編集長が浅はかであるというのは、全くもってその通りなので、否定のしようもありません。わはは。ただ、編集長は、この「守る会」の何人かの皆さんとの対話を通じ、市民の皆さんがまちの将来像を自らの手で描かんがためにご努力を続けられていると判断しております。もし仮に、山形さんが、この市民の皆さんの努力をもって浅はかと断じているのであれば(そんな話は山形さんの投書にはありませんが)その意見には断固として反対いたします。編集長は今や「義を見てせざるは勇なきなり」のことわざ通りの心境であり、静かに市長の決定を待っていられる心境ではないことをご理解いただければと思います。

何度も言わないとどうにも皆さんに分かってもらえないようですので繰り返しますが、、、。(ご安心あれ。分かっていただけないのは何も山形さんだけではございません。これはきっと編集長の説明が悪いのでしょう。根が浅はかなので仕方ないですが、、。わはは。)

編集長がこの保存運動を支援しようとしている背景にあるのは、市民自らが市の将来像を描こうとするその姿勢にあるのであって、何が何でもこの建物を保存せよと言っているワケではないのです。そこを間違えてもらっては困ります。市民が税負担をしてでも残そうという結論が出れば残すもよし、市の将来のためには不要であって多少の環境負荷や取り壊し費用負担が出ても取り壊すのがよいという結論になれば取り壊したらいいじゃないか、と思うのです。極端な話が、編集長的には、結論はどっちでもいい。いわば「そげなこつ、どげんでよか(あ、これは宮崎じゃないか?)」と割と本気で思っています。

しつこい繰り返しになりますが、保存の議論のプロセスをこそ大切にすることが、都城市の将来のためになると考えているに過ぎないとお考えください。これまでの編集長と「守る会」の皆さんとの間で行われたコミュニケーションから判断するに、おそらく、守る会の皆さんも基本的にはそうお考えであろうと感じています。本紙記事リンク先の署名趣旨書pdf書類をご覧になれば、なんとなくそのことが分かるのではないかと拝察いたします。山形さんはお読みになりましたか?

────────────────────

実は、山形さんに意見をいただいて、少し真剣に考えた結果、編集長のこの保存運動へのコミットの仕方が、多少歪んでいることは否めないなあと、いささか反省しております。「保存されなくてもいいなら保存運動を支援してはいかんのではないか?」と言われたら「ごめーん」と言うしかない。ただ、またまた繰り返しになりますが、やはり市民の皆さんが、自分たちのまちの将来を自らの手でつくり上げようという判断をされているのであれば、それには心情的には賛成したいと思うのです。

あれ?そうであるとするならば「都城市民会館を取り壊して駐車場を作る会」ができたら、編集長はどう出るかという問題が発生しますね。(だんだん議論が面白くなってきましたね。こうなると止まらないのが編集長の良いところでもあり、悪いところでもある、という自覚はあるのですが、、、。)実は、そんな会がもしできたら、基本的な姿勢としては協力したいです。(守る会の皆さんすみません)

「そんなの全然ポリシーないじゃん」と言われればそれまでです。でも、たぶんそれでいいんだと思います。「守る会」と「取り壊す会」の狭間に立った時にきっと編集長の個人的価値判断が表明されるでしょう。きっと。それまではこういう歪んだコミットメントをお許しください。というのが正直なところ。


ちょっと話は変わりますが、もし山形さんが、この建物のデザインが醜悪で、市の文化のためにならないから取り壊すべきであるとおっしゃるなら、それはそれで大切な意見だと思いますし、編集長もちょっと賛成してもいいかな、と思わないでもありません。(あ、「守る会」の皆さんごめんなさい。何度も言うけど建物のデザインはあんまり好きじゃないんです)実は、そういう理由で署名を断る人は、私の身の回りでもいらっしゃるのですよ。でも、山形さんの意見はどうやらそうではないですよね?
っていうか、残念ながら山形さんはどうあるべきだと思っているのかが、ご投書からは読み取れません。

────────────────────

長くなって来ましたね。あと少しです。山形さんごめんなさい。あ、でも挑戦的な投書をした山形さんにも責任の一端はあるのですから、責任とって最後まで読んで下さいね♪

最後に、ご投書いただいた内容から環境の話題です。

「賢しら」ってのもなかなか手厳しいですが、、、。編集長も長期的な環境負荷に関して何かを実証した上でモノを言っているワケではありませんから、そう言われてしまえばその通りです。でも山形さんが言うところの「設計次第では〜かも知れません」というのも、また「賢しら」の誹りは逃れられないのではないでしょうか(ごめんなさい。ちょっと意地悪な反論したくなっちゃいました)。

と書くと、こだわっているかように見えて、実は編集長、この環境問題、基本的には大した問題だと思っていません。山形さんが言う通り、どんな方針になったとしても環境負荷を最小限にしなくてはいけないワケで、その方法はいくらでも考えつくと思うからです。

────────────────────

要するに、こういった「賢しら」な議論を用いて、問題を相対化の延長に据えて結論を混乱に陥れるよりは、多くの人が(「山形さんを含めて」です)きちんと意見を出し合い、「世の中には自分と違う考えを持つ人が大勢いるのだ」ということを皆がきちんと認識し、その上で結論を見いだそうとする努力をする方が、よほど都城市のためになるのではないかと思わずにはいられません。

────────────────────

というワケで本記事の最初のところで「後で述べるように」と書いた責任を果たして今日の記事を締めくくりたいと思います。

編集長が前回の記事で書いた「これが収益施設であれば、赤字覚悟の建物保存なんてありえませんが、行政は市民の最大の幸せを追求することが仕事なのですから、何が最大の幸せなのかをトータルで考えたらいいワケです。予測や計算は難しくても、判断そのものはそんなに難しくないハズ。」というのは、全くもって本気でそう思います。未来を予言することは誰にとっても不可能ですが、現在の市民の気持ちを捉えることは可能です。
つまり将来的な収益性などの不確定なファクターを見込んで予測することは大変難しいですが、現在の市民の気持ちを計画に反映させることは可能である、という2項を並べたら、市民の幸せを描くことの方が簡単ですよね、ということが言いたかった訳です。

────────────────────

最後の最後に

今日のこの議論、間接ミンシュシュギの制度論もからめて考えると、行政への住民参加と合わせて、恐ろしく複雑な議論になります。あまりコトを複雑にするのもどうかと思いましたので、今回は最後に至るまでこの件には触れませんでしたが、編集長としては、本来、住民活動というのは、そこまでを睨んだ上で展開されるべきだと思っています。
このこと関しては2004年12月の本紙記事「あさみ新聞: 住民参加と間接民主主義の関係について」の本文と投書欄をご覧下さい。

────────────────────

いや、ホントに長くなりましたね。あさみ新聞最長記録かも知れません。ここまでおつきあいいただいた皆様、どうもありがとうございました。山形さんもおつかれさまです。さらなる議論ができることを切に願います。山形さんには今後ともおつきあいいただきたくお願い申し上げます。

ではでは〜♪

|

« 都城市民会館について(2) | トップページ | 赤いイタリア文化会館 »

14地方版 (地域・まちづくり)」カテゴリの記事

コメント

>つまり将来的な収益性などの不確定なファクターを
>見込んで予測することは大変難しいですが、現在の
>市民の気持ちを計画に反映させることは可能である、
>という2項を並べたら、市民の幸せを描くことの方が
>簡単ですよね、ということが言いたかった訳です。

だからそれがちっとも簡単じゃないよ、ということをこちらは申しておるのです。市民と申しましても多種多様です。13万人の市民にとって何が幸せなのか、どうすればわかるんでしょうか。しかも何らかの指標にもとづく定量的な目安なしに?

それがそんなに簡単なのであれば、なぜ都城市は何年もかけて検討会を設け、存続の是非をあれこれ考慮しなければならなかったのでしょうか。かれらがバカで編集長どののように他人の幸せを見切れる能力をもっていなかったからでしょうか? おそらくそうではないと愚考いたします。

そして人の現在の幸福には、将来の見通しが反映されるのです。将来ジリ貧だと思えば人は現在の時点で不幸になります。ですから、現在の幸福を見るときにさえ、将来を予測する必要はあるのです。

次に、編集長はあまり感心しないレトリックを使って議論をゆがめておられるように思います。

>市民会館を残せば、その維持管理に関して市民に
>税負担を強いることになります。でも、取り壊すのに
>もお金がかかり、駐車場や公園にするにもお金がか
>かり、これを維持するのにもお金がかかることを忘
>れてはいけないでしょう。金額の大小はありこそすれ
>ど税負担を強いるという点では、保存しても取り壊し
>ても似たようなものです。

コピペするだけでため息が出てしまいます。この「金額の大小はありこそすれ」という部分は。この金額の大小がまるっきり桁のちがうものだからこそ、そもそも取り壊すべきかどうか、という話になっているのではありませんか。10円出すのも1億出すのも、金額の大小はあれ似たりようなもの、ですか。それはとうていまともな議論とはいえないのではないでしょうか

市の中間報告には、そのコストの試算がはっきり出ております。かたや年間5千万円の維持修繕コスト、片や初年度で3億ほど解体整備費がかかるもののその後は維持費年間100万円。今後20年を考えれば、市としての負担は 1/3以下、現在価値で計算しても半分にはなっています。

これを「似たようなもの」とおっしゃるのであれば、そもそも解体を見当せざるを得なかった市の事情が、編集長どのはまったく理解できていないと言わざるをえません。そしてそんな方が唱える「市民の最大の幸福」にどんな中身があるのか、はなはだ疑問と申し上げざるをえません。

ついでながら、PFIとかNPOとか、あまり思いつきでおっしゃいませんようお願いいたします。PFI は赤字施設を黒転させる魔法ではございませんし、NPOは何でも無料でやってくれる小人さんではないのです。

市の報告書は拝見しておりますし、非常によい仕事をしていると考えます。あまり偏りのない委員を集め、市民にアンケートもかけ、編集長がなぜか軽視しておられる建築的な価値についても一通り考慮しています。かれらは市民を代表してきちんと考え、仕方ないが壊す、という結論を出しております。アンケート結果も、わざわざあのようなアンケートに答えようという人ですら、半分はこわせと言っている、というふうに解釈すべきでしょう。ほとんどの人は、ふうがわりな建物がどうなろうと関心はなく、そういう人はそもそもあんなアンケートにすら答えないのですから。

住民参加の議論も拝見しましたが、やはり浅はかという印象は逃れ得ません。住民があらゆることにあらゆる面で住民参加することはできないのです。住民参加と気勢をあげたところで、結局そこにすべての人が参加するわけではなく、なにやらそこに利害関係を持った少数の人々でしかありません。それは利益団体による利益誘導と、実はさしてかわらないものになりかねないと考えております。が、この点につきましては長くなりますので割愛いたします。

では、あまり変な「運動」で不要な施設維持費の無駄遣いに貢献なさいませぬよう節にお願いします。また、住民たちの議論や意識が不十分で、高邁な理念をお持ちの編集長殿らがそれを高めてやろうといった発想も、できればやめていただければと思います。

投稿: 山形 | 2006.04.16 00:28

私が今回の「運動」に関して感じました難点を整理しておきます。

すでに数年の検討期間をへて、都城市民の代表で構成される委員会が、コスト、機能、財政インパクト、市の合併に伴う環境変化、文化建築的意義なども含めて今回の建物に関しては検討を行っております。その委員会が、解体やむなし、という結論を出しているわけです。それに対して保存しろ、というのであれば、それはこの委員会がまちがっている、あるいは検討が不十分だ、ということを言わなくてはなりません。

さて編集長どのは、建築家であらせられると理解しております。建築家が、専門家としての観点から貢献できることとしては:

1) 今回の建築が持つ建築・文化的な意義について、委員会が見過ごした観点から指摘する。

2) 見逃されている事業手法(の可能性)を指摘することで、委員会のコスト計算に修正余地を指摘する

この2点程度かと存じます。

ところが今回の委員長殿は、1) の点は何もありません。建築的に評価しないとおっしゃっております。2) についても、まったくなし。PFI とか NPO とか、見識を疑うような思いつきを挙げているだけです。要するに、編集長どのは今回の件で、貢献できるものを何もお持ちではないのです。

で、何のために保存「運動」をなさるのかと拝見いたしますと、前回の記事では:

>編集長の興味は、この建物が竣工後しばらくの間、
>都城市のシンボル的存在であり、市民に親しまれて
>来たという点にあります。

>(加えて言うなら、取り壊しによって産業廃棄物を増
>やすのはよくないという視点からも保存しようという
>意見を支持したいという思いもあります。)

>ここで、編集長が読者の皆さんに一番訴えたいこと
>は、この都城市民会館の保存・取り壊しの議論を通じて、市民や行政の間で「都城市が今後いかにある
>べきか・どのようなまちを目指すのか」ということがき
>ちんと議論されるなら、そのことは、将来の都城市全
>体に幸せをもたらすに違いないと、編集長が固く固
>く信じているということなのです。

つまり:

イ)市民のシンボルであったことがある(一時的だが)
ロ)廃棄物を出す
ハ)保存運動をしてあげると、都城市がどうあるべきか、市民たちが議論するきっかけとなる

この三点であると理解されます。

ロに関しては、すでに指摘した通り、賢しらな思いつきでしかないと考えます。今回の記述で揚げ足取りを行っておいでですが、廃棄物が出るというだけでは何ら壊さない理由にはなりません。永遠に保つ建物はない以上、いつかは壊されて廃棄物になるのですし。廃棄物が問題になるのは、環境負荷のためでしょう。それは目先の廃棄物だけでなく、もっと総合的に判断されるべきものだと理解しております。

>「設計次第では〜かも知れません」というのも、また
>「賢しら」の誹りは逃れられないのではないでしょうか

という編集長殿の論難は、的をはずしていると考えます。編集長殿は、何も考えずにためにするキャッチフレーズとして「廃棄物」などというものを持ち出されました。それは恰好をつけるための「賢しら」な議論です。一方当方は、それが総合的に環境負荷を考える視点を欠いているという指摘を「設計次第では」にこめました。それが正しい指摘であることは、編集長も認めておいでです。であるならば、それは賢しらの誹りを十分に逃れていると考えます。

さて、イ) シンボル性ですが、それは都城市の人々が決めることです。もちろん、当地の人間には見えていない特色というのはあります。編集長殿が「いや実は全国的には、都城といえばあの建物というくらいのシンボル性があったんだよ」と指摘するなら、それはまた価値があることです。ですが、過去に一時的にシンボルだったから云々。大きなお世話です。委員会でもちゃんと考えているではありませんか。

そしてロ)の点。編集長殿は、都城市民を馬鹿にしておいでです。市の将来についてきちんと議論していない、将来の都城市の幸せ(おや、ここでは「現在の」幸せではなく将来の幸せを問題にしておいでですね。どうやって予測するのでしょう)を考えていない、したがって編集長殿が、保存する価値があるとも思っていない建物の保存運動をしてやって、馬鹿な都城の連中を救ってやろうとお考えです。

が、都城市民は、もちろん自分たちの将来を考えております。それについて、及ばずとはいえ議論もしているでしょう。あの委員会もその一環です。もちろん市で道行く人をつかまえてあの建物について詰問すれば、特に意識していない人もいるでしょう。しかしながら、それすらその市民の選択なのです。議論には時間もコストもかかります。それについて特に考えないこと――そして他のことに関心を向けること――すら、その当人の将来の幸せを高めるための選択だったりするのです。

保存運動をなさるのであれば、保存する価値があると編集長がお考えのものだけにしていただけないでしょうか。市民啓蒙のためだけに、無価値(とお考えの)建物を保存させようと旗をふるようなまねはやめていただけないでしょうか。そして建築家としての専門家の見識を活かしたかたちでの保存運動を展開していただけないでしょうか。そうでないと「あいつらは何でもバカの一つ覚えで保存保存というだけだ」「しかも実は保存する価値のない建物まで保存しろと騒ぎ立て、それに乗じて政治的な介入をねらっているようだ」という認識が生じてしまい(そうした認識はすでにかなりあります)、かえって世間の保存意識にとってはマイナスになるのではないかと危惧いたします。

投稿: 山形 | 2006.04.16 13:09

おお。ご投書ありがとうございます。

なんだか議論がかみ合ってないような気がして、どうコメントしたものが悩んでいました。正直なところ、山形さんの辛辣な物言い(失礼!)に惑わされて、編集長が不自然な動揺をしていたから変なことになっているのだと反省いたしております。徒にお時間をとらせて申し訳ありませんでした。

読者も少なく、放っておいても良いようなこの辺境な場所に、わざわざおいでいただいて、苦言をいただいているのは、編集長を曲がりなりにも評価して下さっている山形さんの見識によるものと感謝いたします。

今回の本紙記事が「揚げ足取り」な部分を多量に含んでいたことは否めない事実だと自覚しております。このことについては、冒頭に書いたように、山形さんの修辞に過敏に反応してしまった若気の至り(などと開き直れる年でもございませんが)と思ってお許しいただければありがたいと思います。申し訳ありませんでした。そもそも揚げ足取りの応酬みたいな議論の形は不健康かつ不毛だと考えているので、これまでの狼藉にはお許しをいただいた上で議論ができればいいと考えています。

きっと山形さんのようにお考えの方はまだまだいらっしゃるでしょうから、もう少し皆さんに叱られてから今回の記事「都城市民会館について(3)」は取り下げようかとも考えています。このまま晒しておくという手もありますが、、。

山形さんのこの記事への1つめの投書は、編集長同様のレトリックに満ちた、かなりイジワルな内容ではありましたが、それもまた編集長の記事が賢しらな議論に終始していたことに端を発しているのですから、何をか言わんやという感じですね。すみません。これに対するレスポンスをどうしたものか悩んでいたワケですが、2つ目の投書で救われました。うっかり恥の上塗りをするところでした。

そして、2つめの投書は、編集長にとって大変腑に落ちる(って正しい日本語でしょうか?)感じがいたします。(最初からこれを書いていただければと思わないでもないですが、それもまた失礼な話ですね。ごめんなさい。)いろいろな意味で猛省中です。人の話は修辞に惑わされずにきちんと読まないといけません。お手間をとらせてすみませんでした。

さて、山形さんのご発言の中で、どうしても「それは誤解です」と申し上げたいところがいくつかありますので、多少いい訳めいてはおりますが、申し開きをさせて下さい。細かな部分で多少これまでの主張と食い違いが発生する可能性はなきにしもあらずですが、できるだけ現在の直感を誠実に表明するよう努めますので、問題点があれば(そんなことに関わっているお時間があればですが)ご指摘ください。

取り急ぎここまで表明しておいて、少し時間をいただきます。膨大なテキストはあるのですが、手元の仕事がかつかつなのでなんともアップできる状態に至りません。申し訳ないです。

投稿: あさみ編集長 | 2006.04.16 15:36

どうかお気になさらずお仕事に邁進していただきたいと存じます。こちらとて今日はたまたま時間があっただけですので。

それに.....

おそらくどんなことをお書きになるつもりか、多少見当はつくような気がしております。おそらく、

「いや実はあの建物も多少は建築自体としての価値はあると思っておるのですよ」

ということ、そしてもっと大きな点として

「いや別に都城市民をバカにしたり見下したりする意図はない」

ということを弁明なさるのだと愚考いたします。いずれにしても、特にそのために手間暇をかけていただくには及びません。これら以外の点についても、特にこれ以上論点が深まるとは思えません。

前者については何ももうしません。それはそれで結構なことです。また後者については、弁明なさっていただいたところでどうなるわけでもございません。だれも面と向かって「おれはおまえを馬鹿にしているぞ」とは言わないものですし、善意でやっていらっしゃることはまったく疑っておりません。ただそれゆえに一層度し難く根深いものだなあとは感じております。こちらとしては、なぜそれが(意図せずにしても)バカにしているとしか解釈できなかったかは説明したつもりですし、それを多少なりとも考慮していただければ、望外の喜びでございます。

一方で、専門家として発言するということは、大なり小なり、相手よりも知識なり見識なりがある、逆に相手は(その面では)自分以下である、ということを前提にせざるをえないと考えます。これは見方を変えれば、相手を馬鹿にしている、と言えなくもありません。したがいまして、バカにすること、という言い方がわるければ、自分のほうが知識や技能において優位であることを前提に相手をしゃく服させるような議論は、それ自体としては一概に否定されるべきではないと考えます。

ただそれならば、その優位を納得させられるだけの見識なり説明力なりを示すこと(少なくともその根拠を示すこと)は当然求められるかと存じます。今回も、都城市の連中はテメーの幸せもわかっとらんバカ揃いであるとおっしゃるなら、何を考えていないかをお示しいただく必要はあったかと存じます。考えてない、議論が足りない、とあげつらいながら、ではどこらへんが足りていないのかを方向性すらまったく示さず、単に議論のための議論を奨励するばかりというのではお話になりません。

といったところをいずれお暇な折にでも少し思い出していただき、今後のご活動に役立てていただければ幸いです。こちらの妄言をどのようにご理解いただいたかは、編集長殿の今後のご活動の中で自ずと見えてくることかと存じます。では、今後のますますのご発展とご活躍をお祈りいたしております。

投稿: 山形 | 2006.04.16 17:44

都城市民です。山形さんは厳しい方と想像します。あさみ編集長のご支援に心強く感じています。
市民会館の存続か解体かについては、アンケートが示すように52%が何らかの形で残して欲しいと数字で出ているのに、強引にも取り壊しの報告をしました。行政の手法は街づくりに関しても、いつも市民委員会を設けて議論はさせるが、ほとんどそれは反映されずシナリオ通りに結論付けられます。まあそうでもしないと表向き形が整わないし、市民の意見を全て聞いて取り入れる時間の余裕もないからでしょう。
今度の対策プロジェクトチームの最終報告書も同じ手法です。私は市民として納得できませんが、行政側の立場ならそうなるのでしょう!
私はあくまでも市民の中で市民会館は最後に残されたシンボリックな建物なので、何とか残して欲しいし、壊したらもう二度と再現は不可能だと思うからです。
請願の署名活動は、市民を中心に進んでいます。陳情は都城市民以外の人々からも保存して欲しい声があり、全国各地に広がっています。スペイン、イタリアからも応援の声が来ています。
来週は市長に説明をする予定にしています。
今後の再利用計画も、指定管理者、財団設立、資金計画等も含め、地場の大手企業、商工会議所、観光協会や広く市民に投げかけていきます。
私は、観光の1スポットになると思っています。菊竹さんの40代の作品で殆ど当時のまま残されている建築物です。いまでも建築に興味のある人が全国各地から写真撮影に見えます。寺社仏閣が観光地になるようにメタボリズムの建物も観光目的になると思います。
読者の皆さん、編集長のように温かい目と広い心でご支援のほどお願いします。

投稿: 芦田 均 | 2006.04.16 18:20

あらすごい。にぎわってきましたね。
すみませんが芦田さんへのレスは後回しですが、たぶんこの山形さんへのレスで、お返事になっているような気もしますけど。

さて、
山形さん、お返事いただきまして、ありがとうございます。


ご指摘のポイントは、だいたい当たりですが、ちょっとだけ違います。
山形さんが整理して下さったおかげで、編集長の主張のポイントがクリアになってきました。
────────────────────────
そもそも、最初から述べたかったのはご指摘のポイント
1) 今回の建築が持つ建築・文化的な意義について、委員会が見過ごした観点から指摘する。
のみだったということです。他の議論については、お許しをいただいたので、全て省略いたします。
ついでに、
イ)市民のシンボルであったことがある(一時的だが)
ロ)廃棄物を出す
ハ)保存運動をしてあげると、都城市がどうあるべきか、市民たちが議論するきっかけとなる
の3つに関しても全て撤回します。
1)と ハ)は、下記をお読みいただければ分かる通り、編集長にとってはほぼ同義です。しかし、山形さんも倦んでるでしょうし、議論が混乱しますので論及を避けることにします。
────────────────────────
■建物の価値に関する議論
編集長はこの市民会館に価値がないとは思いません。揚げ足取りではなく「建物に価値を認めることと、その建物が好きか嫌いかという問題は別」だと思います。もっと現状に即して簡単にいえば、編集長が訪れたことのないまちの建物を好きか嫌いかということは、まったく建物の価値に関係しないということです。
しかも、建築的な価値については、どうやら山形さんとはその認識も立脚点も違うようなので、以下に、そこの部分の補足を込めてレスしておきます。

建物の価値が決定されるのは、その建物の利用者(単に前を通る人とか、使わないけど近所に住んでいる人、役所で建物を管理している人なども利用者と考えるべきです)がどのように価値判断をするかということに尽きると思うのです。
このあたりの議論は、再三にわたり本紙紙上で意見表明をしているつもりなので、ついつい自明のこととして記事を書いてしまったりしているところに編集長の問題があります。しかも、実はこれが、なかなか廻りの人にも理解していただけないところでもあることが問題を大きくしているようです。山形さんにご理解いただけるかどうか自信はありませんが、以下にお伝えしようする努力の痕跡を残します。
────────────────────────
建築的価値というのが一般にどう理解されているのかは分かりませんが、編集長は「エラい先生が大事なものだと言っている」とか「海外で評価されている」などの指標が本当にその建物の価値を表しているのかについては疑問を持っています。
建築は単なる芸術作品ではありませんから、美しいだとかレアだとか高価である・作家が高名であるなどの価値判断だけでなく、使いやすい・安全である・親しみが持てる・思い出の場所である・愛している・自分の家からどう見える等々の様々な要素が考えられます。これらの要素が重なりあって建築の価値の総体が決せられるのだろうと思うのです。

ちょっと脱線しますが、極端な話が「一人でもその建物を愛している人がいるなら、その建物には絶大なる価値がある」と思うのです。編集長としてはこの直感を大事にしたいと常々思っています。

100人の人がいれば100通りの使いやすさがあるはずで、1000人いれば1000種類の思い出や愛し方があるはずです。そしてこの価値判断を是とするなら、それは定量化とはほど遠い議論になるのは当然ですよね。
そして、何らかの方向性を見いだすために、多くの利用者がもつ異なる価値判断を集め、これらをある一定の価値判断に代表させる(その必要があるならですが)には、利用者の直接対話を通じた価値判断の共有以外の方法はないと(今のところ)考えています。利用者によって価値判断が大きく違うこの市民会館のような場合特にこれが大切だろうと思うのです。これをもって編集長はこれまでプロセス重視と言ってきた、とお考えください。
そしてこの考え方をベースにするが故に、間接民主主義や住民参加の可能性に敏感に反応してしまう、というのが編集長の立場です。市民の幸せに関する議論で定量化の話が出て来ましたが、プロセス重視と言っている議論の形はこの建築の価値についてと全く同様です。

山形さんは、編集長の職能に鑑みた上での編集長が役に立てる方法をご示唆くださっています。これによって随分編集長の頭の中がクリアになりましたという意味で重要なご投書だったと思います。素直に感謝します。
────────────────────────
ということで、以上がご指摘の
1) 今回の建築が持つ建築・文化的な意義について、委員会が見過ごした観点から指摘する。
の内容というワケなのです。本当に言葉足らずでしたね。すみません。山形さんとは立脚点が違うような気がするので、もしかしたらご納得いただけないかも知れませんが、これが、現状での編集長のかなり正直かつ変なレトリックを混入させてない(ハズの)議論です。

しかしこのプロセス重視論。このままでは大きな欠陥があるような気がします。それは「直接対話を通じた価値判断の共有」についてその方法を述べていないことにあるのではないかと思います。例えばそれが市役所のプロジェクトチームや懇話会や議会で議論されれば良いのではないかという疑問にも答えていません。
その欠陥を埋めるのが次節「住民参加の意義について」です。
本記事への1度目のご投書において、住民参加に関する議論は、山形さんからは惜しくも割愛されてしまいました。でも、編集長が本当に大事にしたいと思っているのはそこのところの議論なのです。(省略じゃなくて割愛ということなので、いずれお話いただけるものと思っております。ご迷惑でなければお時間のあるときで結構ですので、是非お願いしておきます。)
────────────────────────
■住民参加の意義について
────────────────────────
建物の価値に関する議論で編集長が大切にすべきだと思うのは、利用者による「直接対話を通じた価値判断の共有」のプロセスであると書きました。しかしその手法について述べておりません。プロジェクトチームや懇話会や議会が議論するだけではなぜいかんのかという説明ができていません。ここではその問題について、現在の暫定的な拙論を展開しておきます。
────────────────────────
では、そこで、例えば「市民会館を擁する都城市民17万人全てが直接対話する方法があるのか」というご質問があったとすると、今のところ編集長にはその技術についての明確な提案はないと答えざるを得ません。しかし、編集長は、何らかの形で利用者が対話を通じてそれぞれ主体的に価値判断を共有することは必要欠くべからざることであると考えています。その理由は前稿で述べたように「一人でもその建物を愛している人がいるなら、その建物には絶大なる価値がある」と信じているからに他なりません。

さて、ここから先が、論理矛盾を引き起こしそうなところなのですが、そもそも市民全員が直接対話する必要があるのかという問題について考えておきます。これについては実際のところ編集長としても疑問を持っています。そんなことは非現実的であるし、山形さんもちらりと触れて下さっているように、物理的に不可能でしょう。

そこで、市民全員でそんなことは相談できないから、誰かに代表して議論してもらおうという考えが浮かびます。ここで間接民主主義(議会)を引き合いに出すと議論が編集長が設定した筋道を外れて行きます。それが委員会やら懇話会でも同様です。
議員さんや委員さんたちが議論することが不必要かつムダな営為であると言いたいのではありません。その議論は大切であるし、おそらく行政手続き上も必要なのだろうと思います。
ここで編集長が問題にしたいのは、当事者不在という問題です。
おそらく、どんな場合にも、ある個別の問題に一番詳しいのは当事者でしょう。特にその問題に利害がからむ人は事情に詳しいものと思われます。もし、市民のうちに市民を代表してその問題について議論する資格がある人は誰かといえば、それは「私が当事者だ」と思うひと全てということになるのではないかというのが編集長の考え方です。そして、現在、編集長は、暫定的にではありますが、こういった個別の問題について「私が当事者である」と思うひとが自由な立場で意思決定に参加できるシステムをこそ住民参加と呼んではどうかと提案します。

この「私が当事者である」という「見ようによってはかなりいい加減な基準」で集まった人たちが、「対話を通じて価値観を共有する」システムがあれば、そこでの議論は、間接民主主義や官製懇話会では実現しえない的確さなり、柔軟さをもった結論をもたらすだろうと思うのです。そして、これが編集長による「住民参加の意義」です。

私が当事者であると考えるひと全てに参加してもらうという意味で、ある一定の公平性を担保していますし、そもそも議論に興味のない人たちが徒に参加することによる混乱も避けられます。上手に運用できれば、「住民参加」なかなかステキなシステムには思えませんか?具体に運用しようというのであれば、スキルの提供も可能です。どちらかといえば、編集長は、その辺にプロフェッションの比重がありますので、、。コンサルタントフィーはきちんといただかないといけませんが。
市民会館に関する今回の報告書は、確かにきちんとした手順を踏んで出来上がったものだと思います。私も、一方で報告書を書くことを生業にしていますので身にしみて感じますが、ご担当の苦悩のしのばれる、なかなかよくできた報告書だと思います。ですから、それが悪いと言いたいのではありません。この報告書は一定の条件のもとに出された一つの結論として尊重すべきです。

新聞報道によれば、市長さんもそう仰せのようです。そして同時に報告書の結論だけが結論ではないともおっしゃっています。何らかの形で市民の意見を聞きたいともおっしゃっているのであれば、当事者参加という視点も検討に加えてもらえればと思います。


最後になりますが、いろいろとおつきあい下さいましてありがとうございました。この2日間、久しぶりにきちんとモノを考えた気がしてます。あまりに忙しいのはよくないですね。ではでは。またお時間あるときにご意見下さいますよう。

投稿: あさみ編集長 | 2006.04.16 18:40

芦田さん。こんにちは。

なかなか活動の広がりが見えて来たようですね。このような活動を通じて、市民の皆さんのつながりや、市外の人とのつながりができていくと、それは間違いなく皆さんの財産になっていくと思います。
山形さんには怒られちゃいましたが、山形さんのお邪魔にならないように、静かに活動支援させていただきますのでどうかよろしくお願いいたします。

山形さんは、口は悪いけど(こういう場合も口って言うのかなあ)なかなか本質的な議論をされるステキな硬骨漢ですよ。確かに厳しめだけど、割といい人みたいです。もし再びお返事を下さることがあるとしたら「住民参加なんて眠たいこと言ってんじゃねえ」と怒られそうですけど、、、。もう少し口調が柔軟だとコミュニケーションが取りやすい感じはしますけどね。(山形さん。失礼!)

ではでは。

投稿: あさみ編集長 | 2006.04.16 19:02

あさみ様、山形様、白熱の議論ありがとうございます。

山形さんの最初の投書からのご指摘のように お金の問題は大変重要ですよね。市民会館については、維持費もかかるのに残して…残して…とだけ言うのではいけない。きちんとお金の問題も考慮した対案を、市民からも、出せるようでなくては…と準備中ですが、なかなかに難しいですね。

 私たちが目指すのは、市民会館を残して都城市民のシンボリックな活用です。「40年で壊すのもったいない!」というのが原点です。
 最も誤解されたくない事は、政治的なねらいなど無い!ということです。でも、山形さんにはそうした認識がすでにかなりあるとのこと…多くの皆さんにもそう思われているのでしょうか…  署名運動とか言うと、やはり市に対し敵対姿勢だと思われるのでしょうか…  一番私たちの本意と違うところなので、戸惑います。
 私たちの活動には 市民会館についての情報の入手が不可欠で、それは市職員の方々のご協力なしにはできません。(そうやって市民会館Q&Aもできました。PDFご覧になりました?) 市職員の皆さんには親切に接していただいて、いつも有り難く思っています。
 山形さんには、細かく市の報告書を読んでいただき、高い評価もいただいて都城市民としては大変嬉しく思います。

 さて、ここで、ちょっと違うかな…というところ 述べさせてください。
   ・市民会館は、40年をかけてシンボルとなり、
    今も変わらず都城のシンボルです。
    駅から近く、帰省者は「市民会館を見ると、あ~都城に帰ってきたなぁ」
    と思うそうです。
   ・市民会館解体後は、20年も駐車場&公園ということはありえません。
    2,3年後には何かの施設ができるでしょう。
 
 なら、解体費 + 整地費 + 2,3年の管理維持費 + 新築費用 より
  改修して、再利用の方がいいんではないかと…
ただ、山形さんがおっしゃるように、新築の方が安いこともあり得、市民会館の場合どうなのか・・・?

 そこで 行政・民間・専門家で第三次プロジェクトチームを組んで、財政上の問題もクリアできる、市民会館を残す方法を探っていけないか・・・?と考えるのですが…。 

中途ですみませんが ここで、一応失礼します。  では、また。

   

 

投稿: とみぃ | 2006.04.16 23:34

とみぃさんこんばんは。
ご投書どうもありがとうございます。

やっぱり遠くに住む編集長の話よりも、市民の方々のお話が一番説得力がありますね。

ほぼ、なされるべき議論は芦田さんの投書と、Q&A、それからとみぃさんのお話で網羅できているのではないでしょうか。

イニシャル+ランニングコストのお話は、そもそも跡地利用の計画がはっきりしないために、明確な数字になりえません。山形さんも取り上げてらした報告書の試算に関してはちょっと留保して考える必要があるということですね。

普通に考えたら、市民会館規模の建物が新築されるとすると、用途にもよりますが、延床約5,000平米として十数億円ぐらいでしょうか。
もし保存する場合にも解体費用は発生するワケで、これがほとんど解体撤去なみの工事費がかかると考えておくのが安全かと思います。結局、保存してどんな仕様にするかが、分会点を形成する最重要項目になるのではないかと思います。もちろん、ちゃんと計画して計算しないと分かりませんが、直感的単純計算によれば、両路線の差はかなり近いものになりそうです。

やっぱり長期的事業費比較において説得力のある論理にするためには、
「取り壊して数年後に何を建てるのか」ということと
「改修してどう使うか」というのをきちんと想定しないといけませんね。
どっちも結構難しい課題です。

どちらもこれまでの議論で決定打が出ていないようですので、それこそ市民の皆さんも加わって、上手な使い方を考えられたら一番いいのだろうなと思います。第3次プロジェクトチームは、なかなか良い案ではないでしょうか。

もしよければ、また様子を聞かせて下さい。ではでは。

投稿: あさみ編集長 | 2006.04.17 01:00

一つ素人の素朴な疑問として専門家の声を聞きたいのですが、

> 市の中間報告には、そのコストの試算がはっきり出ております。かたや年間5千万円の維持修繕コスト、片や初年度で3億ほど解体整備費がかかるもののその後は維持費年間100万円。今後20年を考えれば、市としての負担は 1/3以下、現在価値で計算しても半分にはなっています。

こうした試算というのは、結果的におおよそ試算通りにいつも実現してるもんなんでしょうか? 公共の建物と個人住宅を比較するのも何ですが、我が家の場合、全然試算通りのランニングコストになってないところがあって、かなりその辺が大きな課題(不安)となってしまっているという現実があります。

もちろんこうした議論というのは試算ベースで話を進めるしかないわけですが、公共機関は今やどこも大抵 Web サイトというものを持っているわけですがから、当初想定された試算と実際を施設概要のページなどに明記してくれる方向になればな〜とつくづく思います(そうした事例を確認できずに最早「試算」ってものが信じられません)。

っていうか、さすがに5000万と100万の差額で見せられるとホンマかいな?と勘ぐらずにはいられなくなっちゃうんですよね。

それとあさみ編集長、できればこのエントリーは「このまま晒しておく」の方向でよろしくお願いします(笑)

投稿: m-louis | 2006.04.17 01:58

建物や公園の維持管理コストくらいでしたら、そんなにはずすことはありません。特に今回の施設維持管理コストは、過去の実績がデータとしてありますから、かなりかたい線です。もちろん不測の事態は常にありますし、意外な技術革新でコスト構造が変わることはあります。原油価格高騰で、施設の維持管理コストがはねあがることもありますが、当然そこまで予測はできません。予測はあくまで現時点での最も現実的な予測でしかありません。

予測を現実と併記したところで、大した意味はないように思います。原油価格が予想外にあがったとして、それを予見できなかったからといって予測者たちを責めることができますか?

ただ、もちろん信用しないのはご勝手ではありますが、あの施設が今後5千万以上の年間維持費を要するというのは、大幅にまちがっていることはないかと存じます。そして、その金額が上がることはあれ、下がることは考えにくいことだと思われます。建物は古びますから。

あと、次の用途が確定するまで建物の存続の是非を検討できないなどという馬鹿なことはございません。とりあえず公園という用途が決まっている以上、それが続くものとして計算するのは十分に正当です。いったん公園整備したものは、20年は続かないかもしれませんが、3年でつぶして新施設にはしないでしょう(したらまた「子どもたちの公園を守れ」とかいううるさい連中がわいてくるでしょうし)。もし公園をつぶして新施設にするのであれば、その時点で公園vs新施設の費用便益を比較すればよいのです。

さて、編集長殿はまた変なことをおっしゃっておいでです。

>極端な話が「一人でもその建物を愛している人がい
>るなら、その建物には絶大なる価値がある」と思うの
>です。編集長としてはこの直感を大事にしたいと常々
>思っています。

ため息。なぜ編集長殿は、ご自分の直感をそれほどまでに尊重すべきすごいものだと思いこんでおいでなのでしょうか。なぜこんな明らかにまちがった直感を大事にしたいと思うのでしょうか。

その建築を憎んで、醜いから消えてくれればよいと願っている人が一方でいた場合、その人の気持ちは尊重されなくてよいのでしょうか。建築なんかどうでもいいが、そこに使われる金を別のところにまわしてくれと願う人がいたら、その人の願いは無視してよいのでしょうか。まあ、きくだけ無駄かとは思いますので、お捨て置きください。

投稿: 山形 | 2006.04.17 03:44

山形さん、ご返答ありがとうございます。
私は今回の件はあさみ新聞の一読者として、ほとんどあさみ新聞の記事とコメントのみでモノを言ってる立場なので、ただ、素朴に思うことのみを書かせていただいておりました。それで今回の件が解体後の用途として公園に決まっているのであれば、5000万→100万の維持コスト差も理解できない話ではありません(どこかで「公園」になることも書かれていたのでしょうが、さすがに長文ゆえ、肝心なところを読み落としてました)。

ただ、素人目線でこうした問題に関わったとき(というか、仮に自分が住民だった場合)、正直一番弱いのが説得の材料として数字を出されることなのです。これを出されて無理だと言われるとそれだけで何も言えなくなってしまうところがあります。でも、何かこの数字って常に疑わしい感じがしてならないんですね。それは例えば逆に建物存続希望者が52%いるという数字にしたって、どういう52%なんだ?と思わないでもありません。なんて書くと、そんなパーセンテージと今回の維持管理コストを一緒にするなと言われそうですが、しかし、出てきた数字に一般市民が誤魔化されることなくそれを信用していくためにも、できれば予測から実現後の経緯を特に公共機関は年度別に提示してどこかで閲覧できるようにしておいて欲しいという気持ちがあるのです。

それは別に予測が外れたから誰が責任取れとかそういうためのものではなく、単に情報がプロセスごと履歴として当事者に開かれた状態になってて欲しいという希望です。例えば最近では買い物するのに 価格.com で価格変動履歴やクチコミの様子を確認しながら購入を決心することができるようになりました。もちろん昔だって最後の判断基準はクチコミだったり値段という数字だったわけですが、でも、その判断に履歴が伴うようになったというのは非常に大きな話だと思うんですよね。

そうした履歴の見える(即アクセスできる)形が、まちづくりの是非を問う局面でも市民に開かれてると違うのにな〜と、、というか、あさみ編集長はそのシステムに辿り着くために保存活動をふっかけるという遠回りなことをされてるのかな〜という風にも見えております。

投稿: m-louis | 2006.04.17 05:29

あら、なんだか盛り上がってきたなあ。
すてきすてき。

お、m-louisさんご登場ですね。
>「このまま晒しておく」の方向でよろしくお願いします(笑)
任せなさい。ま、言われんでもそのつもりでしたが(笑)

なんかね。こういうやりとりが楽しめないと、意見を表明している意味はないとすら思っています。(半ば開き直ってますが、、、)皆さんすでにお気づきとは存じますが、意見を表明していることの責任だけは、胴体着陸でもなんでもいいので、きちんと最後まで取りたいものだと、常々思っているワケですよ。(まあ、着陸したときには、胴体着陸どころか、両翼をもぎ取られてしまっていたりする今回みたいな場合もあって、難しいけど)

確かにデータの蓄積ってのは必要だと思いますし、そのあたりを透明にしておくのは大事なことだと思います。でも、山形さんがいみじくも懸念してらっしゃるように、行政的には「違いが記録される」というのと「違っていたら違っていたで構わない」というのは、相容れない考え方なのだろうなあ。とも思います。違いが明瞭になると、誰かが責任とらされるようなことになったりしちゃうのでしょう。きっと、、、、。よく知らないけど(笑)
行政はリスクを負わないのが通常ですので、委託先の設計者とかコンサルが責任とらされたりするのかなあ、なんて思ったり、、、、(笑)

それよりも、問題はこうした数字が一度出されると、その数字が作られた根拠抜きに一人歩きしてしまうことの方にあると思っています。おそらくm-louisさんが気にしてらっしゃるのも、そこのところなんでしょう。

であればこそ、こうした数字が、常に根拠とともに明示されるべきだと思っています。かねてより、あさみ新聞では「フルオープンなシステムによる建設」を提唱しております(施主と設計者の関係についてなどを参照)が、そろそろ行政でも、そういった方法への転換をすべき時にきているのではないかと思います。
しかし、そんなことにつきあうことになったら、設計者も大変ですけどね、設計料上げてもらわなくちゃ(笑)
不勉強なのでルールには詳しくないですが、最近は入札予定価格を公表して入札が行われる場合も増えて来たので、数量および単価公開型の入札ですら可能なのではないかと思ってます。あ、ちょっと話がずれたね。

イニシャルコストについてのみ言えば、そもそも行政の仕組みからいって、事業予算をものすごく外したら事業そのものが成立しなくなってしまいます。そこで、どこに歪みがゆくかは別として、最後には予算に無理矢理にでも合わせてしまうので、そうそう問題は起きません。

ランニングコストについては、山形さんがおっしゃるような不確定要素もからんできますので変化の可能性は考えられます。でも将来を予言することが大変難しいのはこれまで主張してきた通りで、やはりここは、算定の根拠を透明にしておけば、対応もイイワケも可能ではないかと思います。やはりm-louisさんのおっしゃる路線が理想的なのでしょうね。

>あさみ編集長はそのシステムに辿り着くために保存活動
>をふっかけるという遠回りなことをされてるのかな〜と
>いう風にも

そこまでいうと、うがち過ぎですが、目指す方向はそこです。当事者が考えたらいいんじゃないか、とか、まちの将来像を皆で描こう、というのも結局はそこに辿り着きます。

フルオープン。かなり魅力的です。

投稿: あさみ編集長 | 2006.04.17 06:51

あ、そだ。m-louisさんへのレスとともに書こうと思って忘れちゃってた。
ごめんなさい。
山形さん、ご投書ありがとうございます。

跡地の利用については、山形さんに誤解があるようです。
─────────────────────
市民会館の跡地利用については、基本的にはビジョンがない状態だと聞いています。中間報告書では「将来的な跡地利用に支障をきたさないように」「芝生広場兼駐車場」にしておくとありますが、最終報告書では「速やかに跡地利用が図られるように」「解体するまでに跡地利用計画を策定する」ということになっています。
─────────────────────
現状はそういう認識を前提にしていいのではないかと思います。
さて、
─────────────────────
またまた山形さんのおっしゃる通り、次の用途が確定するまで建物の存続の是非を検討できないなどという馬鹿なことはありません。ただし、建物のライフサイクルコストや、敷地全体の事業マネジメントの観点から見たら、少なくとも10年や20年ぐらいまでの敷地の利用イメージは作って市民で共有しておくべきだろうと思います。
これは編集長が先に「賢しら」な議論を展開して叱られた環境負荷の話と全く同じで、長期にわたるトータルなマネジメントの中でコスト検討をしておかないと「振り返ってみたらムダなことしちゃったなあ」ということになる。その可能性を排除するために必要ではないかと考えます。そんなことになると行政も施策の一貫性を問われちゃいますよね。そこで、そのトータルマネジメント計画というか、長期ビジョンを皆が納得づくでつくったらいいんじゃないかと思う次第です。
─────────────────────
ここまではそんなに難しい話じゃないので良いとして、次の問題は捨て置けと言われても捨て置けないので、山形さんにはおつき合いいただいて恐縮ですが、誤解を訂正させていただきます。
─────────────────────
「その建築を憎んで、醜いから消えてくれればよいと願っている人がいた場合」も「建築なんかどうでもいいが、そこに使われる金を別のところにまわしてくれと願う人がいた」場合も、そういった人の願いが無視されていいはずはありません。
誤解を招く書き方をしてしまっているなら訂正しますが、そのことは「一人でもその建物を愛している人がいるなら、その建物には絶大なる価値がある」と矛盾する概念ではありません。っていうか全く同義のつもりで書いております。つまり、例えば「絶大なマイナスの価値がある」と言えると考えたら分かっていただけるでしょうか。

「100人の人がいれば100通りの使いやすさがあり、1000人いれば1000種類の思い出や愛し方がある」というのは、まさにそのことが言いたかったわけです。

後者の「建築なんかどうでもいいが〜」という人に対する場合が、直接対話手法の上で若干の問題を含みますが、これらは全て事業に利害関係をもつ「当事者」であると考えればいいと思います。「直接対話を通じた価値判断の共有」(だったっけか)が目指すのは、まさにそこのところの価値判断をお互いに共有するところから議論しましょう。ということです。
─────────────────────
そして、
こんなフレキシブルで現場の事情に即した意思決定方法は、議会にも懇話会にもできないのではないか。編集長は、今のところ提示しうる最大のプロフェッションを用いてこれを提案しているワケです。もし、建設的な議論をしようとお思いなら、是非このスキームの穴をつついていただきたいと思うのですが、いかがでしょうか?それともつつくにも値しないとお考えでしょうか。
─────────────────────
おお、もう仕事しないと。皆さんごきげんよう。

投稿: あさみ編集長 | 2006.04.17 07:44

あさみ様 これまでに登場の皆様へ お疲れさまでした。
白熱の議論が続いてましたので…こうしてしばらく時間が空いてなんだかホッとしています。

さて、議論の中で、直感についてのコメント
>ちょっと脱線しますが、極端な話が「一人でもその建物を愛している人がいるなら、
>その建物には絶大なる価値がある」と思うのです。
>編集長としてはこの直感を大事にしたいと常々思っています。

とありましたが…私も直感というものを信じる一人です。
直感と言うと 絶対こうだ!という強い意志を感じますが、なんとなくだが、どうしてもそう思えてしまう…というのもあると思います。
m-louis さんのおっしゃるように、 ―正直一番弱いのが説得の材料として数字を出されること―  だと思いますが、都城市民が維持費の数字を出されても 「でも、残ったらいいのになぁ」 と思うのも直感の一つなのではないかと…考えます。

直感でまちづくり!!といえば…国内最大級の照葉樹林の森を守ることで、街をよみがえらせた 綾町(宮崎県)があります。林業しかなく過疎化が悩みだった40年前の綾町で、企業に森を売れば、雇用も生まれるというのに、郷田前町長は「何としても森を残したい!」という直感に従った。森を守るには…で、色々やったことが、今の発展に繋がった…ということです。
当時の綾町にはお金がなかったので、住民が考えた政策を実行するために、郷田さんは補助金を積極的に多用した…               船井幸雄著 「まちはよみがえる」 より

このほど、綾の照葉樹林の森は国と保護林協定が結ばれました。綾町の皆さん、関係者の皆さん、今は亡き郷田前町長良かったですね。(この場を借りて…)

私たちは、市民会館を再生し、シンボリックな活用をはかるために、何かいい補助金はないか…と探索中です。

投稿: | 2006.04.20 21:26

すみません。投書者名を入れるのを忘れました。このコメントは私です。

投稿: とみぃ | 2006.04.20 21:30

議論に乱入致します。
少々性格が乱暴なものですから、お気を悪くなさらずにお読み下さい。
山形さんへの意見
あなたのやり方はもう古い。そんな時代ではありません。

浅見編集長への意見
もっと明確な意思表明をすべきです

私の意見
キケロです。

間接民主主義も直接民主主義も欠点があります。
でも、どちらかだけでは良くないと思います。
共存することが大事です。認め合うことが大事です。

最終の目的は、みんなが満足すること。
結論はいかにあれ、議論して良かった、私とは違う結論になったけれど、それはそれでしかたないなあ、それもありやなあ。

此処まで来れば、最高です。

これがキケロです。ヨーロッパの古い古い弁護士の論理。
最良で最短の道は、一番遠回りをすること。

これが私がパートナーのイタリア人と議論しながら行き着いた結論です。

投稿: Tempei編集長 | 2006.04.23 21:56

あさみ新聞というおもしろいサイトがあると聞いて除いてみました。たしかにおもしろそうですね。編集長に敬意を表します。

 本日、都城市民会館の署名活動を都城市の中心街にある「大丸センタ-モ-ル」周辺で行いました。「ヨッシャ!わが意をえたり」的な反応で署名をしてくださる方、「解体派ですので」とひとこと言って過ぎ去る方、無言で通りすぎる方、いろいろでした。

 先日、署名をお願いに行った先で、ある人からこんな意見をいただきました。「あんたたちはこんなことをしていたらケンカになるんじゃないの」。たしかに、この問題を「勝った」「負けた」「壊した」「残した」的な争いにすることは不幸なことだとおもいます。

 なぜ、こんな活動をすることになったのでしょう。なぜ、市民会館の保存・解体を問題にしなくちゃいけないのでしょう。新しい文化ホ-ルがもうすぐオ-プンします。喜ばしいことです(できれば、50年後「残しましょうよ」と活動できるようなデザインならなおよかった)。そして、あと10年だいじに使っていけば重要文化財に指定される可能性のある市民会館も都城市にはあります。なにが問題なのでしょう。よくわかりません。

 わたしは、東京、名古屋、京都に住んでいたことがあります。その各地で、出身を聞かれ「都城です」と答えます。すると、「野球の強いところだね」がいちばん多い反応でした。「市民会館があるところだね」という反応がその次に多く、「見学に行ったよ」という人もいました。どちらの場合も、とてもうれしいことでした。郷土に誇れるなにかがあると、とても頼もしく感じるものです。

投稿: ヒラカワヤスミ | 2006.04.29 23:34

編集長 ご報告です!
長峯市長の定例会見(4月28日)における市民会館についての表明です。

今年末に休館する市民会館の存廃を巡っては、秋口に市内15中学校区ごとに「意見交換会」を開く考えを示した。市民同士で議論する形をとり、その結果を踏まえて保存か解体かを最終判断する方針。 ―毎日新聞4/29―

編集長いかがです?
>「私が当事者である」という「見ようによっては
>かなりいい加減な基準」で集まった人たちが、
>「対話を通じて価値観を共有する」システム
ではないかと私は思うのですが・・・
編集長のお言葉 「議論のプロセスこそ大事」 を忘れずに、取り組んでいこうと思います。
たぶん喧嘩には…ならないだろうと思います。たぶん。

ヒラカワさんへお疲れ様です。
4/29は街頭署名活動初日でしたが、守る会のメンバーである建築士の方々のパワーに感服です。
5/7までみんなで頑張りましょう。


市民会館は実はすごいんだ!と私が知ったのは2001年月刊「カーサブルータス3月号」でした。
建築・デザインをめぐる旅 日本BEST100の中に、市民会館の写真を見たときの驚きと、誇らしく嬉しい気持ち。
でも、将来に存続の不安が残る建築とあったので、これは残さなくては…と思ったのでした。
2003年6月号では 「天才建築家菊竹清訓を知っていますか」を読み、メタボリズムの考え方に少し触れ、さらに残さなくては…と思ったものです。その中の菊竹氏のことば「メタボリズムは英語で言う必要はありません。増改築でいいんです。」が印象的でした。

私が都城の誇りに思うもの・・・
市民会館と平成元年にした世界初ウエルネス都市宣言(人が元気 まちが元気 自然が元気)の考え方です。 それから寄贈頂いた都城島津家のお宝です。まだ目録作成中ですが、1万1千点の中に国宝級があるんではないか・・・とワクワクしています。
それらが十分に活用されればいいなと思っています。


投稿: とみぃ | 2006.05.01 00:03

>ヒラカワヤスミさま
初めまして。ご投書いただきましてありがとうございます。お誉めいただいて恐縮です。
「なにが問題なのでしょう。よくわかりません。」
確かによく分かりませんね。保存と解体。おそらくは2項対立ではない、ということだということは直感できますが、、。

郷土に誇れる何か、という視点は、ちょっと見落としていました。
誰かに誇れる何かを持っている。それってステキなことですね。

>とみぃさま
「人が元気 まちが元気 自然が元気」
これもまたステキですね。


ケンカするのも悪くはないと思いますが、相互理解なくして、まちの将来はありえません。あくまで2項対立ではない、と思わずにはいられません。活動、頑張って下さい。陰ながら応援させていただきます。

では。

投稿: あさみ編集長 | 2006.05.01 21:58

12/20の都城市議会で、解体工事費を復旧工事費に変更する補正予算案が可決しました。よって、解体を中止して南九州大学の講堂に活用する案が確定したことになります。
西日本新聞の記事
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/local/miyazaki/20071221/20071221_002.shtml

投稿: タケ | 2007.12.21 22:12

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/26464/9610481

この記事へのトラックバック一覧です: 都城市民会館について(3):

« 都城市民会館について(2) | トップページ | 赤いイタリア文化会館 »