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2005.12.01
まちなみづくりマニュアル
昭和初期に建てられた気仙沼市魚町、南町の建築物をイラストや平面図で復元し、今後の街並み形成に役立てようと、気仙沼市風待ち観光のまちづくり推進協議会(会長・鈴木昇市長)が製作を進めてきた「風待ち地区建物景観復元マニュアル」が完成した。内湾周辺の商店会に配布するとともに、復元意向調査を行い、まちづくりに生かす。
──三陸河北新報社051130の記事「街並み復元に指南書」より引用
国土交通省の支援事業で「都市観光の推進による地域づくり支援事業」ってのがあるそうで(お、これ、今でもあるのかな。使えそうだなあ、などと思いつつ)、このお金で実施したものらしいです。
まちなみ景観とか景観まちづくりに関わり続けている編集長としては、ちょっと気になる記事なのです。それはどこの部分かというと。
それが「マニュアル」として提示されている点です。景観行政的な話をすれば、景観づくりってのは、景観法とか景観条例を使って、結局は規制型の方法で行われていることが多いようです。つまり、ルールの決め方としては「こうしなさい」「こうしちゃだめだ」という規制として立ち現れているワケです。例をあげれば「勾配屋根にしなさい」とか、「瓦屋根にしよう」とか、そういう感じですね。
もちろん、そうやって建物の建て方を縛るばかりではなかなかうまく行かないので、条例に即して建物を建てた人には助成金が出るような仕組みもあったりするわけです。っていうか、少なくとも兵庫県ではそうです。(ここまで書いて気づきましたが、編集長ってばよその事例をあまりにも知らないなあ。プロとしてはちょっと恥ずかしい、、)
んで、何が言いたいかというと、
条例とかルールである以上、守ることが前提で、守ってもらおう(あるいは守らせよう)という発想でルールを決めるから、どうしてもその基準を数値で示すとか、そういう発想になりますよね。例えば「10m以上はダメ」とか「1m下がれ」とか、そういう風に、かなりパッキリと決めちゃう。「あんまり高いのは止めよう」とか「ちょっと下がって下さい」という風には決められない。これはルールである以上、実は当然のことで、守っているか守っていないかが後で分からないのはルールではないという行政のお立場から来ている。
一方、景観条例で「しばり」をかけるというのは、地域の人にとっては「私権の制限だ」ってなことになる部分もあるワケで、あんまり強制的にお金のかかることをルールで決めちゃうと、建物を建てる人にとって大変なことになってしまう。で、行政がルールを決めようとすると、ついつい、守りやすさを考えたルールを作りになってしまって、結構中途半端なことになってしまう。
まだ何が言いたいか分かんないですね。続けます。
逆に、そういうルールがあると、逆に「ルールさえ守っていればいいんだな」なんてことになって、かえっておかしな事態を引き起こす可能性もなくはないのですよ。
ルールってのは、きちんとすればするほど魂のないものになります。条例の一部に「瓦屋根にした方がきれいっッスよねェ」とはかけない。「屋根の葺材は瓦屋根とするよう努める」なんてのが限界。この瞬間に美しくするという目的から離れて
ルールが自己目的化し始めます。美しくなくてもルールさえ守っていればよいということになる。ここんところがルールづくりの難しさということになります。
で、ちょっと飛躍すると、編集長としては「マニュアル」という方法に可能性を感じているんです。まちなみを美しくするためのマニュアル。まちなみをきれいにしたいと思ったら、そのマニュアルに従って建物の姿形を考えたら良いような。「どっちにしようかな?」と悩んだ時に、どっちがより美しいまちづくりにつながるかを判断することをサポートしてくれるような。そんなマニュアルがあったら、杓子定規な条例だけある状況よりもずっといいんじゃないかなあ。と思うワケです。どうすか?「マニュアル」。
おーい。みんな、付いてきてるか〜♪もしかして寝てた?
編集長が最近悩んでいることをつらつらと書いてみました。
2005 12 01 01:00 午前 [14地方版 (地域・まちづくり)] | 記事
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投書(コメント)
ルールはある程度必要ですよね。
でもそれは、まったく無知な人にでも判ってもらうためのもので、経験を積んでいくとだんだん自分の中にできあがってくるのが「マナー」。
聞こえはこちら「マナー」の方が曖昧なものに感じるかもしれないとけど、同じ事柄に”より深く”関っているものどうしなら簡単に通じ合える事。
ルールがあった上でマナーが出来てくる。
・・・しつこい(^^;)
マニュアルって「事典」みたいなものでしょうか。
1人で考えるのは程ほどにして(悩みすぎるとしんどくなるので(^^;))、例えば、
ある程度考えてまとまらない場合は、諸先輩に相談して問題解決の糸口を探してみましょう。
な~んて項目を、但し書きみたいに書くのも面白いかもw
投書者: ひろき@左官理事 (2005/12/01 7:37:34)
えーと、何が言いたかったかわからないまま送信してしまいました。
わたしは、「マナー集」ってのも作るといいと思います。
ではでは~♪
投書者: ひろき@左官理事 (2005/12/01 7:45:21)
そうかそうか、ルールのココロをきちんと理解して運用していくと、その先の地平には「マナー」が見えてくるってことですかね。
時々、今井町(奈良県橿原市)のまちなみと、どこかのニュータウンのまちなみの形成のされ方の本質的な違いについて考えます。あえていうなら、それは歴史の長さの違いではなく、地域において建物のデザインに関する共通理解(ここでは、それがマナーと呼ばれるのかも、、)があるかないかの違いじゃないかと。
つまり、その共通理解さえ手に入れることが可能ならば、まちの歴史の古さは実はあんまり関係ない。(もちろん歴史が古ければその可能性は高くなりますが。)
ある程度考えてまとまらない場合は、諸先輩に相談して問題解決の糸口を探してみましょう。
それイイ!
いいですね。ステキです。平野(大阪市)のまちづくり協定かなんかに「隣の建物に合わせましょう」みたいな項目があって「これはステキ」なんて思ってました。
投書者: あさみ編集長 (2005/12/01 7:52:58)
hiraです。
固定的な数値も分からなくはないですが、緩やかで動的な規範の方がいいなぁ・・・と私も思います。
が、
昨今は、ご近所に住んでいても、個人はてんでバラバラな世界に生きていて、隣同士に住んでいるオッサンと女子厨などは、アボリジニとパリジェンヌくらいの違いがあるやもしれんので、そんな簡単にも行かないでしょうね。
そういう不透明な世の中で、安易に「マナー」に頼ると、地域性が希薄になるという逆説が発生します。たとえば、葬式の標準化というのは、「ルール」ではなくて、「マナー」が引き起こしている。塩月弥栄子『冠婚葬祭入門』(1970)なんかがベストセラーになる。 地域性を出すために地域の人に「全員参加」で答えを出してもらうと、逆に普遍に向かってしまう・・・。他のメンバーがどんな背景を持ち、どんなことを考えているかわからなくなると、とりあえず、なにも問題が起きないような中庸にデザインに逃げ込む。(その逆に個室の中はやりたい放題になるのですが・・(tokyo style / 賃貸宇宙 by 都築響一)
あたりさわりない、安全で中庸で無関心なまちなみが選ばれます。マンションの色を参加で選ぶと大抵中庸な色になるのと同じです。
編集長のおっしゃる、地域のデザインに関する『共通理解』(海外集落研究者はよく、これを「住まいの規範」と呼びます。住み方文化からデザインコードまでを含めて使う)、これを形成しようとしたものが、アレキサンダーの「パタンランゲージ」といえるのではないでしょうか?
投書者: hira (2005/12/01 11:34:42)
ふむふむ。なるほどね。しかし難しいなあ。
マンションの色を皆で選ぶと中庸な色になるってのは確かですね。よほどのことがないと突飛な色にはならないと思う。まあ、それがマンションの色ならば、別にそれでもいいような気がしますが、、。
地域性を出すために、皆でやろうとすると逆に普遍に向かう。ってのは、確かにそうなんだけど、なんだかもったいないと思います。編集長個人としては、個別の解を求めて、常にその場所場所で考えているつもりですが、その考える道筋がパターン化してくると、どうしても答えもパターン化してくる。
方法論を探るという観点でアプローチすると方法が結果を規定してしまうという問題が発生するというワケですね。そこで思うのが「発見的方法(吉阪隆正)」が、実は「方法」の話ではなくて「発見」の話であるということなのかなあ。などと考えました。
うーん。発見こそが我が道って気がしてきた(笑。
「パタンランゲージ」については、なんだか未だによく飲み込めないんですよ。あれはたぶんマニュアル本に近いのだろうと思ってます。で、「(hiraさんのおっしゃる)「住まいの規範」を形成するという目的を内包している」という点が(そうやって皆さんからお聞きするのですが)、うまく理解できないのです。
いやいや、ちゃんと読まなきゃダメなのは分かってますが、、、。(恥
投書者: あさみ編集長 (2005/12/02 1:07:28)
この話題、人ごとでないので参加します。
設計事務所ドディチ・ドディチにとって、いま、イタリアンテイストの外観デザインは、事務所の看板です。
その結果、まちなかに建築した場合、明らかに形も色も突出します。では、それがまちなみを壊していることになるのか。確かにヨーロッパのまちなみの美しさは、ある意味、統一感がもたらしているのは事実です。では、日本のプレハブ住宅が並んだ統一感、見事に統一されていますが、美しいか。統一感にもグレードがあるのではないでしょうか。
もう一つ、意志決定の方法です。確かに、みんなで決めれば無難にしか決まらない。では、ワークショップで決める方法というのは、どう考えましょう。意志決定に参加したという満足感は、ちゃんとしたワークショップであれば間違いなくみんなが持つことでしょう。ワークショップの持つ最も大事な点はこのことです。だからこそ、安物の役人が、ワークショップを安易に利用しようとするような現象も発生しているのですが。
ワークショップの場合、意志の決定方法と同時に、その決定内容の質の高さも同時に問題にしたいです。どのようにすれば、その両方を満足できるのか、単なる二律背反か、まだ私には回答が得られていません。
投書者: Tempei (2005/12/02 6:30:53)

