ダイアログ・イン・ザ・ダーク
皆さま、お久しぶりでございます。
少し前のニュースです。最近ちょっとユニバーサルデザインについて考えるところ多でして、どうもユニバーサルネタが気になっております。少し前のGoogleアラート(忙しいと放置してしまうのが悪いところです)をたぐっていたら、グッドデザイン賞にユニバーサルデザイン賞というのがあるそうではないですか。
どんなものが受賞しているんだろうな。と見てみて感銘をうけました。「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」だそうです。この内容を見て、なんだかちょっと感心しました。これは是非参加してみたいと思います。で、調べたらこの夏神戸でやってたって言うじゃないですか!さらに自治大学でこの11月23日までやってたというではないですか!
無知というのは恐ろしいものです、知ってたら必ず行ってたのに、、。
というか「喉元過ぎれば熱さを忘れる」状態の編集長としても、8月にどんな魅力的なイベントがあったとしても、全て参加できなかったであろうことは想像に難くありませんが、、、。
しかし、面白そうです。(単に面白がっているだけでいいのかという問題はありますが、、、)とにかく、グッドデザイン賞のサイトから引用しておきましょう。
「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」は時間が経っても手の先さえも見えない暗闇の中 を、視覚に障害のあるアテンド・スタッフの案内により、晴眼者の参加者が体験する ワークショップ型の展覧会です。参加者は視覚以外の聴覚や触角などの感覚を使っ て、日常の空間を認識します。これは不自由さを体験する障害者の疑似体験ではありません。それよりは、人間の尊厳と可能性に気付くためのプロジェクトといえるかもしれません。
──「G-Mark Library 2005年度ユニバーサルデザイン賞」より引用
この賞の選評が、プロジェクトを知った私の感想をかなりな部分で代弁してくれていますので、重ねて引用しておきましょう。
ためにするバリアフリーデザインが氾濫するなかで、障害者をアクターとしてポジティブに捉え直した優れたユニバーサルデザイン提案である。視覚偏重の状況に対しても一石を投じると同時に、触覚・聴覚デザインの新領域を開いた点、そして障害者と健常者が逆転した立場でのユニバーサルコミュニケーションデザインである点を高く評価した。真っ暗な美術館など、新しい施設開発への発展性も感じさせる新領域的可能性も内在させている。
──「同上、審査委員による評価コメント」より引用
「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」のサイトはこちらです。
Dialog in the Dark Japan
で「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」を神戸で行ったのがこちら。
ダイアログ・イン・ザ・ダーク ショーケース2005 イン 神戸
(※トップページもコンセプトとしては面白いですが、ちょっと分かりにくいのでメインページにリンクしてます。トップページはメインページからお楽しみを。)
「ダイアログ・イン・ザ・ダーク(DID)」の紹介はこれくらいにしますが、行ける機会があれば是非体験してみたいと編集長は思っています。
どうもユニバーサルデザインってのが何なのかよく分からなくなってまして、、。確かに教科書的に説明されれば理解できなくはないんですがね。と、これまでの議論(←リンク先をご参照ください)から、編集長ってば、あんまり進歩していません。
やっぱり「DID」なんだか気になります。
この「DID」が、どれほどユニバーサルデザインなのかどうかはよく分からないのですが、少なくとも編集長がこのネットの片隅でごちゃごちゃ論じているよりもずっとユニバーサルデザインに近い感じがします。かなり脱帽です。もし体験されたことのある方がいらしたら、感想をお聞かせくださいませ。
【余談ですが】
DIDってのは、我々の業界では「人口集中地区(DID;Densely Inhabited District)」の略語なんですが、これからはDIDと見たらこの「ダイアログ・イン・ザ・ダーク(DID)」を思い出しそうな、そんな感じです。(ってどんな感じなんだよ、おい。)
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コメント
元ネタは欧州に昔からある、暗闇バーでしょうか。
盲人のスタッフによる、漆黒の暗闇のバーです。
「目が見えない人」ではなくて、「視覚によらずにバーテンダーできる技能を持つ人」として、盲人がサービスする。暗闇で飲む酒は、視覚を使わないから、いろんな感覚を使ってたのしむ。
視覚障害者の尊厳を保つ場になっているようです。
学生とUDの話をするときには、いつもこの事例を出して議論します。
車いすのために段差を無くすことは、目的ではなくて、手段。
排除しないこと、尊厳を保つこと、これがポイントなのだと・・
象のワークショップでも、目隠しして五感を働かすワークショプ、よくやってますよねー。
ジーベック+フェリシモだから、森さんと中西さんの企画かもしれないなー。
こんなメモ書きが出てきました。
「視覚が開かれているために、聴覚や触覚などの他の感覚回路を閉ざしているのなら‘全体性を持って生きている’とはとても言えない。“Heal”(癒す)や“Health”の語源が“Whole”(全体)であることからも分かるように、私たちが健康であることを『人間の全体性を持って生きていること』と再定義をすると、一般に考えられている‘健常’や‘健康’のあり方は、必ずしも本当の意味で健康な全体性を持ったものではない」(竹村真一、出典はwebのどこか。)
投稿: hira | 2005.11.29 11:55
hiraさんありがとうございます。
実はhiraさんが詳しいんじゃないかなあ、と思っていたのですよ。しかし、hiraさんはオリジナルをご存知だったのですね。「暗闇バー」。なんだか目からウロコ続きです。
五感を働かすというのもそうですが、日本では、割と、同じチームの中でのコミュニティ形成を促すワークショップ的な面も評価されている模様ですね。
投稿: あさみ編集長 | 2005.11.29 21:21
おっと、誤解があるかもしれないから訂正。
「欧州で昔からある」という「昔」は、10年とか、20年とかだと思います。
100年とか300年とかのオーダーではありません。
闇、止み、病み、ヤミ・・・
ヤミという言葉は、「立ち止まること」「停滞すること」に繋がりそうですね。
「屋根」「小屋」の「ヤ」にも繋がりそうだなぁ。
投稿: hira | 2005.12.01 11:44