ちょっと待って「阪急百貨店」(その2)
阪急梅田コンコースを・・の「関連ブログのトラックバック集」にトラバ。
阪急百貨店について前回触れました。今日はその後の状況と編集長の考え方を。
工事は始まりつつあるようです。けっこうな数のブログで盛り上がり中。実は、編集長は関西ネイティブじゃないので、小さい頃の記憶というのがありません。
ということで、最初の反応としては「あんなドラマティックな空間がなくなるのはもったいないじゃないか。ちょっと待って!。伊東忠太だってあるのに」という反応だったワケです。
しかし、わりと関西の方々には、思い入れのある方がたくさんいるようです。で、改めて考えるとこれはね。すごく恐ろしいことですよね。東京でいえば東京駅がなくなる、みたいなもので、そんなの誰も賛成しないもんね。と、考えたら、これはもう少し本腰を入れて本紙編集部としても何か考えないと、、、と、認識改め。
皆さんご存知のとおり、いま、編集長はなかなか副業の方が忙しくて
なかなかこの問題にコミットできませんが、私の知り合いのm-louisさんが、
「阪急梅田コンコースを残したい・・その一心で立ち上げました。
『阪急梅田コンコースを・・』」
というブログを立ち上げて下さいました。m-louisさん。ありがとうございます。
ぜひとも皆さん訪れて、サイトを盛り上げると同時に、まちや建物と人、まちや建物と記憶・思い出について真剣に考えてみて下さい。一つの建物がより多くの人々の関心の中心になる機会はあまりないので、こういう事件をきっかけに、自分とまちとの関わり方を再考してみていただきたいです。
こういった「建物を残したい」活動では、人や署名の数を集めることとか、交渉の相手を定めるとか、そういうことも大事だと思うのですが、それが「運動」という形を取っている限り、結局は「勝ち負け」の問題になってしまって、「勝った、負けた」が結論になってしまうことが多いようです。組織・運動というのは少なからずそういう側面を持つものですが「勝つ」ことが自己目的化するあまり「要するに建物が残ればイイ」という手法論に陥りがちです。
ここで一つ考えてみて下さい。大事にすべきは建物そのものだけではなく、人々の営みを含むものと捉えるべきではないでしょうか。誤解を恐れずに極論を言えば大切なのは建物ではないのです。(この考え方は一面危険でもあります。なぜなら、取り壊す方の論理に取り込まれてしまう可能性があるからね。)
思い出の蓄積とでも呼ぶべきもの、人々の心を支えているものを大事にしようという姿勢を忘れてはならないと思うのです。敵はものすごい論理で攻めてきます。資本の論理は時に凄まじい暴力になりえます。
であればこそ「ここで述べているようなプライスレスな何かを大事にしていくことが、どれだけ資本にとって利点があるのか?」「保存することによってどれだけ多くの人の心を救うことになるのか」その一点のみで勝負するのが、連戦連敗を続けている歴史的建物保存を、なんとか勝ちにもっていくための論理になりうるのではないか。
まだまだ議論が必要な論理で、未完成な物言いなのですが、編集長の直感は、そう思うのです。
そこで、編集長からの提案ですが、もう少し大事なのこととして、そこに建物があって、その建物に「誰の、どんな、どれだけ深い」愛着や記憶が残っているのか、それを収集し詳述できるしくみを作りませんか?
あれだけの建物ですから、多くの人が少なからず印象をお持ちだと思いますし、あの場所にうれしいことや悲しい事を喚起させられる思い出をお持ちの方も多いはずです。そういう記憶の棲家としてあの建物があるのだという視点に立って、できるだけ多くの「物語」を抽出していくことが、遠回りに見えるだろうけど、建物を残していくために、一番の近道なのではないかと思うのです。
なぜこんなことを言うのかというと、力技(署名活動や歴史的)計画をしているのは阪急という会社なのかも知れませんが、会社を動かしているのは人間だから、、、という話になるのですが、どうも、この話、語り始めると長くなるし、今はそういう時間がとれませんので、未完成にて失礼。あ、ホントに時間がない、、、、ばたばたばた。
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