シドニーのオペラハウス
一つの建築が国のイメージを変える
ところがこの「白い帆」をどんな材料でどう作ればいいか、ウツソン自身も世界トップレベルのプロのエンジニアたちもなかなか答えが出せず、見切り発車で基礎工事が始まった。それでもなお、解決の見通しはたたない。そうこうしているうちに予算はふくれる一方となり政権も変わり、ウツソンへの風当たりはいよいよ厳しくなった。
ついに66年、彼は辞表を出し、プロジェクトを離れた。73年、仕事をひきついだ地元の建築家チームの手で建築が完成した際、総工費は当初予算の約6倍であった。
無駄な公共工事、税金泥棒、建築家の独善、無責任……今日の日本社会で問題とされている公共工事への批判がほぼすべて先取りされた。この建築のトラブルが原因で政権が交代したとまで噂(うわさ)された。
しかし半世紀たった今、この建築の悪口をいうオーストラリア人はほとんどいない。ここで開催されるイベントは年間1600を超え、世界有数である。
ウツソンは2003年、建築界でもっとも名誉あるプリツカー賞を受賞した。審査員の建築家フランク・ゲーリーはこう讃(たた)えた。「あれほどの妨害と批判にさらされたにもかかわらず、彼はたったひとつの建築が、国全体のイメージさえも変えられることを証明した」。オーストラリアを思い浮かべる時、確かに多くの人の頭の中で、この「白い帆」が揺れているかもしれない。
──「asahi.com『奇想遺産 シドニーオペラハウス』(隈研吾)」より引用(引用文のタイトルは編集長による)
隈さんの文章は分かりやすくていいですね。というか凝縮されているので(略)を入れるところが見つからず、長文の引用となりました。実は編集長、ヨーン・ウツソン【John Utzon(1918-)】が、事情があってオペラハウスの設計者を降りたということは知っていましたが、それ以上の詳細な事情を知りませんでした。とても大変だったようですね。
この前後のウツソン氏の状況は、前川事務所からオペラハウスのコンペに勝ったあと、ウツソン事務所に移籍した三上祐三さんが、JIAのサイトに書かれていますので興味のあるかたは是非どうぞ。かなり面白かったですよ。また、編集長は未読ですが三上さんは「シドニーオペラハウスの光と影―天才建築家ウツソンの軌跡」という著書も書かれていますので、気になる方は読んでみては?
ウツソン氏は1918年のデンマーク生まれ。だそうです。オペラハウスのコンペが1957年ですから、この国際コンペに勝った時、39才(38才?)の時だという計算になります。(うわあ、ちはるさんどうしよー。私たち、あと3年しかないよ、、、って何もウツソン氏と張り合うこともないわけですが、、、)
上記の三上さんの文章中にウツソン氏によるオペラハウスのスケッチが載っています。なんだかウマいのか下手なのか良くわからないドローイングです。でもオペラハウスであることは分かります。これをスケッチした時には、ウツソン氏の頭の中には、今シドニーに建っているあの建物の姿がほぼ出来上がっていたんでしょうね。うーん。あやかりたい。
ウツソンさんは今や第一線を退いているようですが、息子さんがそのあとを引き継いだようで、コペンハーゲンに事務所があります。興味のある方はUtzon Assosiates Architectsをご覧あれ。
| 固定リンク
「03評論欄 (建築論)」カテゴリの記事
- 携帯の鉄塔は景観阻害要因か?(2004.09.30)
- 景観条例 〜今、京都で起きていること〜(2006.12.26)
- 働いてみたいオフィス(2006.12.07)
- 学校への愛着は校舎に宿るのか(2006.10.14)
- 「イイ」の発見(2006.06.13)


コメント