←[ツールとしてのCAD(1)] | あさみ新聞表紙 | [国民総幸福量(GNH)] →
2005.04.16
ツールとしてのCAD(2)
予告してしまい、コメントまで付いてしまったので、重い腰をあげて「ツールが人に及ぼす影響」などということを考え始めたのですが、どうにも考えがまとまりません。こういう時は思いつきを網羅的に書き記すことから始めるのが「編集長流」の文章作成技法です。
ここでいきなり本論に突入してしまうのですが、こんな技法が使えるのも、実はエディタみたいな便利なものがあるから、という見方はありえます。例えば、これがワープロなしの手書き路線なら、山ほど京大型カードを使って、関連するものをホチキスで止めて、大きな紙にポストイットを貼りまくって、KJ的なことをやって、文章を書いては消し・切り取り・張り合わせ、、、。なんてことになりますよね。
ワープロがあればこんな作業がものすごく簡略化できます。と続けようとしたのですが、よく考えたら、結局やっていることは手書きでもワープロでも一緒みたいな気がしてきました。
なーんだ結局やってることは一緒じゃん。ちょっとワープロの方がこの作業が気軽にできるだけなのですね。これこそワープロがツールであるという所以です。ワープロがどんなに便利でも、創作活動を私たちに成り代わってやってくれるワケでは全然ない。
というワケで本日は、寄り道企画として、いったんCADを離れて、おとなりネタである「ワープロ」について考えたいと思います。
編集長はテキストエディット(MacOSX標準のエディタ:ワープロとはいいませんが、、)がなければ今や文章を書くことができません。ワープロは間違いなく「モノを書く」という作業の意味を引っくり返したのではないかと思います。コピペで再編集なんてことができるし、一度書いたものは使い回せるし、見た目はキレイだし、フォントも色々揃っている。
出版業界もずいぶん変化したのではないでしょうか?植字屋さんとか写植屋さんなんて商売は、おそらく今やなくなってしまったのではないですか?誤植なんて言葉も今やなくなったのでは?(そりゃ誤植じゃなくて入力ミスだものね)
思えば卒論・修論は研究室のRICOHのワープロだったなあ。修論はラップトップを使わせてもらって、ちょっとうれしかったことを思い出しました。そこでブラインドタッチを覚えたことですよ。あの頃はタイプライター向けのタイピングの教科書なんてのがあった。
でも、創作活動(といって大げさなら文章を書くこと)そのものの本質「何かを考える主体がいて、表現したいと思い、それを表出するということ」は何も変わっていないのですよね。
一方、コンピュータ上で文章を書くことの問題点は何でしょうか?
編集長は時々、ワープロで長い文章を書いていると、書いているものの全貌が見えなくなります。私はこれを「コンピュータ上の作業における概覧性の欠如問題(※1)」と呼んでいます。これはpdfブックとか、画面上のA1図面とかでも同じことなのですが、全貌が見渡せないことに根本的な問題がある。もう少し正確に言うなら、細部と全体を同時に見渡すことができないという問題と言えるかもしれません。
コンピュータでは、モニタの面積の制約上、どうしても全体を見るのがやりにくい。細部は拡大すれば見えるのですが、全体像を見るのには苦労します。例えば、模造紙にポストイットを貼ったり、A1の用紙に直接鉛筆で描いたりするのに比べると分かりやすいと思いますが、モニタ上では細部と全体を同時に見ることは不可能です。
この問題が解決できれば、つまり、細部と全体を一度に見渡すことができれば、コンピュータによる作業の生産性や作業のクオリティは格段に上昇するのではないか。
これが編集長のいう「概覧性の欠如」の概念です。だれか抜け道を見出して下さい(と、人任せ)。世の中にはアウトラインプロセッサのようなものもありますが、どうも使い勝手が悪い。結局アウトラインしか見えませんからね。
実はMac OSXの10.3 Panther以降に搭載されている「Expose」という機能が、いくらかこの状況の改善に役立ってくれるかと期待していて、導入当時多用していましたが、ここのところあまり使いませんな(笑。あれは概覧するものではなくて、邪魔なウィンドウをよけるためのものなのでしょう
唯一の解決法は、A1サイズの超高解像度液晶モニタとかかな?(高いよ、きっと)あ、でもそれでは解決できない問題もある。それは「本の厚み」が持つ情報。本の厚さって重要だと思いませんか?pdf書類には厚さがないから、どこに何が書いてあるかがわかりにくいんですよね。【あ、脱線してる?】
なんか寄り道だらけな文章だけど今日のまとめ
「とりあえず書き始める」という乱暴なことができるのが、ワードプロセスが容易なワープロの利点ではあるかと思います。
メタなネタで始めたくせに、なんだか普通にまとめちゃいました。
たぶんこの「とりあえず書き始める」のが楽なところにコンピュータ上の作業の特色があるのかも知れません。このことは、本紙編集部がこの「ツールとしてのCAD」シリーズで目指している「CADやらブログやらの「ツール」が人の思考にどんな影響を与えているかということをを考える」ためのとっかかりにはなるかもしれませんね。
本日はココまで。本丸に攻め入ることなく、またまた次号に続くのでした。(ホントに続くのか?)
【註記】
この「概覧性」という日本語、どうやら普通の日本語ではないらしく、私のIM(頭の悪いことで有名な「ことえり」ですが)は、これを一発で出しません。Exciteの辞書でも出ませんでした。ただし、Googleに放り込んでみたら41,000件ぐらいヒットしたので「スローまちづくり」よりは一般的な言葉なのだろうとは思います。
気になったので、いろいろ検索してみました。
概覧── 41,100
概要──13,000,000,000
概観── 765,000
梗概── 205,000
概論── 606,000
概了── 690,000
概了が意外と多いなあと思いましたが、かなりの部分が中国語のサイトのようです。
あまり参考にはなりませんでしたね。
2005 04 16 08:45 午後 [03評論欄 (建築論)] | 記事
この記事の関連書籍はこちら
(実は3つのうち2つが編集長のアフェリエイトという仕組み)
トラックバック
この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/26464/3727756
この記事へのトラックバック一覧です: ツールとしてのCAD(2):
投書(コメント)
はじめまして。ちょくちょく見させていただいております。
「とりあえず描き始める(書き始める)こと」って結構危険ですよね。
コンピューターのデータはすぐ流用できるデータが蓄積されており,それはそれで便利なのですが(かなり便利です),間違ったデータも蓄積されていたりするので,便利さにかまけて内容の検証を怠ってしまい,間違ったままで遣ってしまった結果,あとでえらいことになってしまうこともたたあります。この問題は個人的な問題かもしれませんが,そういう危険性は孕んでるように思います。
ぞれに「概覧性」にからんで,図面チェックといえば,オールCADでも結局プリントアウトして,赤ペンチェック。それってどこでも共通なんでしょうか。そうでないと心配で心配で…。
投書者: とろまおパパ (2005/04/17 7:50:38)
>とろまおパパさま
はじめましてですう。ちょくちょくですか。うれしいです。
時々こうして投書をいただけると、もっとうれしいです。
ご投書ありがとうございます。
「とりあえず描き始めること」の危険性。確かにあります。考えなしに引かれた線と、緻密に考えられて引かれた線との区別がつきにくい。それはとりあえず描けちゃうことから発生するということですよね。
ま、それは手描き図面だろうがCAD図面だろうが一緒ですけど、、、。編集長はここで、CADが良いとか悪いとか言うつもりは全然ありませんが、CADの方が、その、とりあえずの気安さというか、線を引くためのハードルが低いのは確かですね。
ちょっと気が引き締まりました。概覧性の欠如、とりあえずの良さ・怖さ、あいまい性の担保が、とりあえず上がって来たCADによる設計製図を考える時のキーワード。
他になにかありませんかー?
なんだかCADだめじゃんみたいな話になっているみたいな気がしますが、CADがいかにステキかという話もしなくてはいけませんね。
うー。そもそも、手描きとCAD描きって根本的に違うのか?というあたりから論じるべきなのでしょうか。なんだか深いところに陥った感。ちょっとこのシリーズ休憩しようかな・・・
そうそう、やっぱり当方でも「図面はプリントアウトしてチェック」が基本です。赤入れて直すなんてのは、自分が直すにしろ、ヒトに直してもらうにしろ、プリントアウトして赤鉛筆ってことになりますね。
投書者: あさみ編集長 (2005/04/17 15:38:24)

