子供部屋の間取り
長男が小学生になる。子ども部屋をどうしようか。空間配置だけの問題と思うのに、そうはいかない。小さいうちは親が居るリビングに机を配置せよと言う人もいるし、長じてから個室を与えれば自分の権利と思って親に立ち入らせなくなる、幼いうちから与えて親も出入りすべきという人もいる。要するに、間取りではなく子育て論になっているわけだ。
──「間取り」小橋昭彦(MM『今日の雑学+』050224)より引用
小橋さんは「今日の雑学」を以前は毎日、最近は週1回発行し続けているネット上の有名人で、兵庫県人です。1〜2年前、春日町に戻ってお仕事をされています。あまり建築ネタになることはありませんが、今日のネタが「間取り」だったので、ケンチクカとして反応してみました。
この問題、我らが故宮脇檀センセイは「個室なんかいらん、ずっとリビングで暮らしたらいい」という主張をしてらっしゃいました。間取りのみならず、ケンチクカが建物を設計するときには、おのずと住宅であれば「子育て論」とか「夫婦のあり方論」「高齢化社会論」などなど、学校であれば「教育論」「子供のための空間論」、博物館であれば「博物館学」「ディスプレイ論」などに踏み込む必要が出てきます。場合によっては、ケンチクカがそこまで踏み込まなくても、施主側できちんと考えているので、建物の設計さえしてくれたらいいというクライアントにも出会います。
この種の問題、ケンチクカがどこまで踏み込むのが良いのか?職能としてどこまで踏み込む責任があるのか?は、大変微妙な問題であるといえます。
私たちがケンチクカである前に建築コンサルタントとして、クライアントが求める建物性能を最もよく発揮できる建物を設計していくことは大変重要なことで、それが建築設計の目的であるといっても過言ではありません。
さらに欲を言うなら、クライアントが求める以上の可能性を実現できるような設計ができればなお良しというところでしょう。そうなると、必然的に「子育て論」だとか「夫婦のあり方論」に踏み込まざるを得ない場合も出てくる。住宅の設計で、ケンチクカとの相性が問題になるのは、実はここの部分にもあるのでしょう。
踏み込まれて気持ちよい、踏み込んで役に立ちたい、そういうクライアントとの関係が、ケンチクカにとって幸せであることは言うまでもありません。
と、もう一つ教科書的なまとめ方で、編集長としては不満ですが、今日は以上。
編集長と娘(4才)の関係で言えば、寝るため、プライバシー維持のための最低限の個室は与えてたげるから、普段の生活はリビングでしなさい。と言いたいところですが、これは子育て論以前のお父さんの希望というところでしょうか。
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