ゲーム機と建築
rattleheadさんにトラバ
久多良木さんの発言について
もっと建築家BLOGで言及されるかと思ったのですが
それほどでもない様子.
例え安藤忠雄が設計したとしても一言くらいあるのが普通ではないか.
一般大衆愚民は有難く享受に勤しみなさいと言われているようで なんとも...
傘さすのとどう違うのだと言われると困る.
───rattlehead氏「今日のPSP」(blog「家の記録の妄想」)より全文引用
って言われても何のことやら分からず、汗。久多良木さんなんて建築家がいたっけか?多木浩二なら分かるが、、。
しばし考えて、建築家にも建築史家にも評論家にも思い当たる人がいないことを確認し、編集長としては不安になりつつも、いざという時は知ってるフリしとけばいいか、、、。などと、コソクな覚悟を決めて、Google検索してみました。
どうやら以下のようなことらしいです。
PSPというのは「プレイステーションポータブル」の略で、ソニーの関連会社ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)が発売しているゲーム機のこと(初めて知ったよ。恥?)。年末に発売されて、注目を集めており、品薄が話題になっていたもののようです。
実はこのマシン、各種の不具合が指摘されていて、一つの操作ボタンのボタン押下検知がうまくいかないことがあるというのです。これに関して,SCEの社長である久多良木氏が以下のように語ったというものでした。
使用する液晶画面はこれ以上小さくしたくないし、PSP本体もこれ以上大きくしたくなかった。ボタン位置も狙ったもの。それが仕様。これは僕が作ったもので、そういう仕様にしている。明確な意思を持っているのであって、間違ったわけではない。世界で一番美しいものを作ったと思う。著名建築家が書いた図面に対して門の位置がおかしいと難癖をつける人はいない。それと同じこと
───ネタ元は日経bp
潔いです。カッコイイ。この姿勢を貫き通せたらデザイナーとしては一流だと思います(と、まずは一応敬意を表しておきます)。でも、社長がこんなことを言っている量産ゲーム機会社の将来は人ごとながら心配です。
建築・まちづくり系新聞の編集長としては、どうしてもここで久多良木氏に噛み付いておかなくてはなりません(と、rattlehead氏の挑発に乗って見ました)。断固申し上げますが「久多良木さん、そこで建築家を引き合いに出されては困ります。」
そもそも、建築家は施主のお金を使って単品生産にて建物をデザインするワケですから、原理的に、建築主の意向を無視した設計ができない仕組みになっています。建築主の要求機能を満足させられなければ、その責任を問われることになるし、危険な建物を作っても同じこと。まちなみに調和しない醜い建物を作れば社会的責任を問われますし、間違えると建築家生命を絶たれてしまいます。
rattleheadさんの傘云々の話は、おそらく「安○忠○」氏の、「住○の長○」などのことを指してのことだと拝察いたしますが、あれだってインフォームドコンセントはきっちりされているハズ(事実は良く知りませんが)で、建築主だって満足してお住まいだと聞きます(これも、事実はよく知りません)。そういう意味で勝手に住まい手なり建築主なりの意向を無視した建築なんて、本当にありえないのです。
久多良木さんのところは、自社で製品を作って、売れなかったら在庫を抱えて事業がコケるだけの話ですから、勝手にやってくれても構いませんが(あ、構わなくもないか、私がゲーム機を買わないからそう思うだけかな、、、)、上記のように、建築家ってのはそうはいかない。
いや、上記のようなゲーム機ユーザーの(ゲーム機鑑賞家ではなくてね)存在を無視した発言をしていて製品が売れるのかどうかはまた別の問題であるし、これが人の生命に危険を与えるような製品であれば、もっと問題の形が変わってくるのでしょうけどね。そういう意味では、三菱自動車の不祥事は、久多良木氏よりも罪が重いと編集長は考えています。
ついでに言うなら、久多良木氏のような認識というか、そういう発言が世間の建築家像を歪めていることに、建築家関連団体は断固抗議すべきだと思います。そんな建築家なんかどこにもいないって。いや、これホントです。
話は変わりますが、一説によれば久多良木氏は技術屋さんだとか。やっぱり技術屋さんに経営向きの人は少ないのかなあなどと、残念に思っている技術屋の編集長ではあります。やっぱり、そんな商売の仕方では任天堂さんには勝てないと思いますよ。
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コメント
凡ミスを重箱の隅ツツキされるのは敵わん
もしくは,一か八かの賭なんで万人受けはしないだろうなら
納得もできるのですが,安易に奇抜な建築家と絡めないで欲しいですよね
(すっかりケンチク側の人間気分)
投稿: rattlehead | 2005.01.26 14:04
別に目くじらたてるほどの事じゃないんでないの?
書き込み拝見するかぎり、そうとう自分大好きさんの様に思うけど、こういう人は建築やってる人の中にもいると思うし、、、
もうちょっと、狙うべきとこあるように思うんですが、、、
投稿: 202 | 2005.01.27 07:25
rattleheadさんこんにちは
逆にいえば、世間の建築家像ってのは、一般にそういうもののようです。目くじら立てても仕方ないのですが、そんな事ないんだよーと宣伝しておくこともあさみ新聞の使命と考えておりますので、よろしくお願いいたします。
そういえば、某国営放送でもやっていた安○忠○さんの舞子の住宅(あ、断っておきますが、伏せ字なのは検索サイト除けであって他意はありません。このブログで何か書くと、結構上位にピックアップされてしまうので、真面目に有名建築家を検索する人にご迷惑をかけるのもなあ、、、という程度の話です)の隣に左右対称の建物が建っていました。打放しじゃないようでしたけど。ありゃなんじゃろなあ。
202さんこんにちは
ま、それもそうですな。
もとより私は、PSPに興味はありませんし、よって不具合による被害も受けていない。久多良木さんのことも、どうやら経営者としては問題がある以外には良く知らないので、どうでもいいっちゃどうでもいいのです。
あさみ新聞の編集方針にも関係することなのですが、私が議論を展開したい部分はこのニュースそのものには全くなく、建築設計業とメーカーの業態の違いについて、あるいは、インフォームドコンセントの問題について意見を表明したものとお考え下さい。建築家の職能問題について久多良木氏と闘う気もなければ、建築家関連団体に抗議せよというのも半ば冗談みたいなもので、ま、世間の建築家像に関しては、ひとこと言わせてもらいたいという程度のこととご理解下さいますよう。
ま、とりあえず毎日発行を目指すあさみ新聞としては、どんなニュースにも飛びついて、無理やり自説展開をしているフシもあります。ご容赦を。今後ともよろしくお願いいたしますです。
投稿: あさみ | 2005.01.27 14:14
コメント頂きありがとうございます。
建築家云々って未だに偏見がありますよね。
だいたい、○○家って言われる方々はエゴイスティックなのが味な訳ですから。設計屋の職能を建築家に求めても、ある人ない人様々ですからね。特異なサンプルを持ち出して全体を語るのは、無知故なのでしょう。
個人的には、PSPも含めSCEの戦略は文化の香りがしないのが残念です。良い製品は良い文化を造るんだと思ってるんですけどね。
投稿: rlab | 2005.01.28 13:44
巴香堂さんではございませんか。
お越し下さり光栄です。文化の香りね。
良い製品は文化を造る。明言ですね。
ときどきお邪魔しています。今後ともどうかよろしくお願いいたします。
投稿: あさみ | 2005.01.28 23:19
うむむ、編集長、いみじくも、
>とびついて、無理矢理自説展開 云々
というのは、そのまま某ゲーム機会社の社長が建築引き合いにだしていることと同じ論理展開であるような...:D
■
インフォームドコンセントってのは、一品生産の建築物の場合は多分当然必要なことなので、今更どうこういう話ではないですよね。目の前の環境を相手にして、それぞれのクライアントとの対話を経て作られるのが建築物の日常なので、こんなことにインフォームとかコンセントとか言って問題むずかしくしないほうがいいと思いますよ。なんでも、横文字にすればいいってもんじゃないですよね。
で、これは、僕たちの仕事の前提条件でもあるので、プロダクトと比較しても仕方が無い。そこを突っついてゲーム機の社長が建築分かってないといったところで、そんなもん仕方の無い事だと思います。
しかし、僕は、ここで、ちょっと考えさせられる事もある。不理解はともかく、職能論とか設計条件に対して、どこまでデザインが直接的であり得るか?ということです。
だって、眺めがいい家にしたいという話があったとして、そこにどんな形の窓をつけるかは、デザインの問題でしょ。クライアントに確認してもらうけど、編集長と僕だって、きっと違う形の窓を提案すると思う。大きな方向付けはあっても、そこのことで全部が破綻無くオートマティックに決まる事なんて、本来あり得ないことだと思います。このことは、僕は、建築だってプロダクトだって変わんないかもよと思うわけです(たまたま僕は両方やってるんで)、
と、いうわけで、設計の社会性というのは、業務の際の仕事の進め方の水準での差異でしかない場合もあって、デザインされた結果には、これとは別の価値基準もあっていいんじゃないかと思います。
そうでないと、プロセスが開示されていて、その通りやれば、世の中よくなるというショボイ議論にしかならないもんなー。つまり、出来上がったものがどんな要因でできているかということを注意深く見ることは、建築のサイドにも必要だということです。
投稿: 202 | 2005.01.29 17:34
いじわるだなあ。論理展開が一緒かどうかは否です(きっぱり)(笑
インフォームドコンセントが建築で当然というのはその通りだし、今さら横文字引っ張り出してきてどうすんのよ、というのも然り。否はありません。ゲーム機会社の社長には私もあんまり期待していない。そこまでは別にとりたてて言うべきこともないし、ここで議論しても仕方ないと思います。
で、その先の議論が202氏らしくてスキだなあ。ここんとこで議論しよ。「職能論とか設計条件に対して、どこまでデザインが直接的でありえるか?」ステキです。いや反語でなく。
で、議論の前提として「窓の形を云々する前に、景色が見えなくてもいいのか?」というところの確認をします。「景色が見えなくてもこっちの壁に窓があっては立面が美しくないからダメ」とかいうのはナシだと考えますか?それとも?
とりあえず↑ここから始めさせて下さい。私の意見は202氏の見解を聞いてから開示しますね。(ずっるーい。でもいいんだもーん。編集長だからさ)
あー。なんか長期戦になりそうだなあ。このネタ。ま、ゆるゆるとやりましょうね。今日は明日の森の家の竣工パーティーの準備で、もう書けないかも知れませんし、週明けもまずは出張からどたばたと始まるので、、、。
あと、それから質問です。
「プロセスが開示されていて、その通りやれば、世の中よくなる」ってのはあまりに能天気な話だと思いますので、ただただ頷くばかりですが「出来上がったものがどんな要因でできているかということを注意深く見ること」が必要だというのは、一体どんな意味なのでしょうか?一瞬「要因=プロセス?」と考えて??が飛び交っています。できたら具体的にお教えねがえませんか。と、自分の無理解を棚に上げつつお願いしますです。
投稿: あさみ | 2005.01.29 18:13
長期戦にはなりませんよ:D
僕はね、職能論というのは、社会的な良識もって行動できればあとで勝手についてくるものだと思います。そういうのが未熟だったり責任意識がない立場でものづくりに関わる人もいる訳で、まずは、そういう人は僕は同業者として認めないのでしったこっちゃない。最近スタッフ君にきてもらってますが、このスタッフに僕は算数教えないといけないわけです。まともに修学していれば算数はできてあたりまえ、その先のことを一緒にできて初めて共同だと思う訳。
で、デザインっていうのは一つの要求からでも無数の展開が可能なものなので、そこには不連続な部分が絶対でると思ってます。このことはある意味仕方のないことで、だからこそ、デザインは楽しいと思うのですよ。故に、この部分の機微に意識的になって、デザイン楽しんでくださいというのが、僕はもっとも健全で生産的なことなんじゃないかと思うのです。
だから、プロセス論を展開して、上述したような、デザインのエンジンみたいな部分を隠蔽していく論理には断固抵抗したいと思う。むしろ、その場その場で、断層みたく、すごいエネルギーがうまれる、その一瞬を言葉でもきちんと捉えたいと思うのですね。
ではではでは
投稿: 202 | 2005.01.30 05:33
>長期戦にはなりませんよ:D
なあんだつまんない。
ま、いいや、私も自説展開してお茶を濁しておきますね(笑
202氏が言うようなデザイン行為の不連続性こそが、世の中を多様にしていて、それが面白い。というところはわかりやすい話で、それはまあ、とりたてて言わずともよいかと思います。
問題は、その「面白い・楽しい」という回路をどこに向けて開くのか、それとも開かないのか?というあたりにあるのではないかと編集長は理解しています。誰がどのように楽しむのかということが問題なのではないかと。(下手に建築家職能論に持ち込んだ編集長が悪いといえば悪いのですが、職能の話はこの際、脇に置いておきましょう。)
それはプロセスをどう開示するかということと編集長的にイコールなのですよ。少なくとも建物の姿形を考えることや実際に建物を建てることはとても面白く楽しい作業で、この楽しさを皆で共有しない手はない、と常々考えているのです。
で、それは隠蔽ではなく、私の論理でいけば、開示なのです。
ところで、投げかけた質問に答えてもらえないので、自説展開しておきますが、
議論の前提として「窓の形を云々する前に、景色が見えなくてもいいのか?」というところの確認をします。「景色が見えなくてもこっちの壁に窓があっては立面が美しくないからダメ」とかいうのはナシだと考えますか?それとも?
への私の答えは「アリ」です。
これは、景色を見ることを犠牲にしても良いと思えるような例えようもない美しい立面が立ち現れるならば、という条件付きですが。
建築設計あるいはすべからくデザインの作業は、人々の欲望を形にすることだと思っています。あるいは人々の欲望をかき立てるようなものであるかもしれない。欲望と言うと聞こえは悪いかもしれませんが、「ほっとしたい」とか「きれいな景色がみたい」とかいうのも立派な欲望だし、「こうなったらいいな」という漠然としたものも欲望の形ですね。
だから「景色が見える」か「立面がきれい」か、どっちをとるかと問われて「立面がきれい」をとる人が現れるような立面をデザインをする人がいたら、それはそれで「アリ」じゃないか。と思うのです。ってあたりまえの簡単な話ですけども。
で、先ほどの話に無理やりつなげると、おそらく、202氏の言うような「不連続」なり「エネルギー」なりは、その時に発揮されるのだろうなと思うのです。
ま、一方で「景色が見え、かつ、立面がきれい」を目指すのが、私たちの通常の業務だったりもしますが、、。
ま、そんなところで。
投稿: あさみ編集長 | 2005.02.01 11:43
ふふふ、ひっかかたね、編集長。
立場の違いを強調するつもりはないんですが、、
プロセスが線形で記述し得ない以上、プロセス論じゃない説明の仕方が必要だと思うんですよ。ところがね、たとえば、参加型っていうと、どうしても価値が参加であったり、計画ないしデザインのリテラシーなりに偏りがちです。
あるいはこういってもいいですね。設計者自身は、一方でプロセスを開示しつつ、それでは説明できない部分を常に意識する必要があると思うんです。ここまでくれば、立派な建築論あるいはデザイン論になると思います。
このあたりのコトバを開発するとでもいったらいいでしょうか?僕は、このことにいつも関心があります。プロダクトをデザインしたり、建築物を作るときも、こういう意識においては、エンジンは一緒です。
投稿: 202 | 2005.02.01 16:03