暖房の方が難しいです〜建物の熱環境(4)〜
もう一点、冷暖房ってどうしてもシステムとの比較になってしまうのですが、建築計画との関係も重要なんじゃないかなと思います。簡単に書くと狭小住宅の場合は床面積に対し建物表面積が大きくなる訳だから、建物表面の作り方がかなり重要になってくる。反面、結構大きな規模の住宅になってくると、各部位でどのような冷暖房の計画を行うかの方が、外気との温度差より重要になってくる様に思います。
202氏が「システム」という時に、それがアクティブ、つまり化石エネルギーを用いた空調システムのことを指すのか、それともそれらを含むトータルな建築計画を含むものを指すのかでちょっと読み方が変わってきますが、、、。編集長としては基本的に後者でモノを見続けないといかんと思うのですよね。編集長としては、ヒートポンプそのものをあんまり信用していないというか、好きじゃないというか、、、。
実は、夏を涼しく過ごすのに、電気やらガスやらを使ったヒートポンプを導入してしまうと、かなりエネルギーを使わなくてはいけないけれど、そういう方法ではなく、涼しい建物をつくるための工夫は山ほどあります。いわゆるパッシブクーリングというやつです。
かえって難しいのは暖房で、簡単に手に入る天然の(化石エネルギーを使わない)熱源は太陽熱と地熱ぐらいでしょうか。どちらも補助的には効きますが、寒冷地などで部屋の暖かさを得るには足りない場合が多い。
結局、何らかの形で熱を作る必要がある。薪を燃やすとか石油を燃やすとか、電気で温水つくるとか、それからヒートポンプとかね。
あ、それから、私は電気を暖房に使うのは基本的によろしくないと思っています。電気を作る時には、必ず大量の熱を捨てています。エネルギーは最終的には熱の形になるのは自然の理ではあるのですが、熱を捨てることによって得た電気で熱だけを作るのは基本的に大変無駄が多い。それなら灯油とかガスとか薪を燃やして熱を得る方が、地球全体から見たらよほど効率が良いというのが、その理由です。
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コメント
たかだか建築単体でできること
とインフラレベルを包含することで考えると結構面白いですよ。
後者の典型は、フラーのジオデシックドームです。これが究極のエコ。ただし実現不能。ここまでいかなくても、コジェネとか、さらに小さいレベルで自分で化石燃料を運搬ロス少なく電気なりに変換する方法論も既に試みられています。エアコンだって、年間数%づつは効率あがっているし、なにせ大量に作られているので安い。リサイクルも企業のスケールで行われているので徹底的になるでしょう。
と、考えると、案外建築家は建物の耐久性についてのみ考えればいいのかもしれませんぜ。
これじゃあつまんないから、いろいろ考える訳ですが、実例あげないとつまんないのであげると、鈴木旬さんの住宅でRCのラーメン大屋根に木造をインフィルした奴があります。僕これ結構すきです。毛綱さんの反住器もこの手で、要は季節によって生活領域を切り替える考え方です。フィジカルなスペックではなくて、建築構成の問題で熱環境に一定の回答を与える発想。結露するところはあっさり捨てて、規模の確保に邁進する訳です。こういうのはスキ。僕はこういう発想が建築の力なんじゃないかなと思います。
投稿: 202 | 2005.01.06 00:29
フラーのヤツはほとんど妄想に近い部分がありますね。でも、究極のエコというあたりが良くわかりませんので、ちょっと編集長、勉強が必要と再認識。
コジェネもよろしいと思いますし、エアコンの効率が良くなるのも結構だと思っていますが、エネルギーロスを生じる仕組みであることには違いなく、そういう意味では目くそ鼻くそというか、いや、それじゃ喩えが悪いか、、、「覚せい剤?、オレはほんのちょっとしかやってないぞ」「いやいや、ちょっとだろうと、そりゃ犯罪でっせ、ダンナ」みたいな、、、これもかなり喩えが悪いなあ。
と、いうわけで(どういうワケよ)やっぱり、電気で熱を作りたくないなあと思う次第です。
鈴木さんは旬さんじゃなくて、洵さんですよね。(細かくてゴメン。編集長の責任上放っておくわけにいかないモノで)鈴木さんのその住宅は、寡聞かつ怠慢にして存じませんが、そのスケルトンインフィルは可能性がありそうで面白いです。もう少し詳しく教えて下さいませ。
反住器は、今のところ食わず嫌いが故に理解不能な住宅でして、202氏の評価を読んで少しまじめにみてみようと反省した次第です。釧路の湿原展望資料館はデザインが結構好きだったなあ。
と、まとまらない議論ではございますが、とりあえずこのへんで。
投稿: あさみ | 2005.01.07 12:45
まとめてレスします。
まず、編集長の意図は、極力フィジカルなモノのレイアウト(これは平面計画およびクタイの性能も含まれます)により、極力設備に依存しない建物を考えようということでしょうか?
僕の場合は、設備を包含したところで、、、あるいは、設備と建築の分節をちょっとずらすことによって、建物トータルの性能を形式化できないか?という考え方です。この場合は、建物のライフをどう考えるかにもつながるし、新築のみならず、リノベーションなどの含みうると思います。
このあたりの大前提は確認しておいた方がいいですね。
僕がよく、システム、システムというのも、雑多な問題を形式として定立できるといいなと思うからです。また、ここの方策に関する評価も、どんな分節をどういう水準でずらし、その効果はなんなのかを評価していく姿勢が重要だと思ってます。この点でいうと、いわゆる、設備の場合は効率の話に終止するし、クタイ性能の場合も断熱性、蓄熱性など、一意的なパラメータ上での議論になってしまいがちです。
と、まず、方針確認。
ではー
投稿: 202 | 2005.01.07 15:37
編集長が考えているのは、設備に依存しないとまでは言い切らんのですが、大枠ではそういうことです。フィジカルなのかどうかはよくわかりませんが、否はなし、でいいと思います。
建築のライフを考えること、リノベーションも含めて考えることについては大賛成ですが、建築トータルの性能を“形式化”しようというのが具体的にイメージしにくいので、もう少し解説していただければありがたい。(すんませんな、モノワカリが悪くて、、)
設備の話は効率に終始、躯体性能の場合もパラメータ議論。というのは分かりやすくまとめていただいたみたい。ただ、分かりやすい話なのですが、だとするとどういう土俵の上で議論できるのかが、見えません。それが、202氏の言うところの“形式化”なり、“システム”なりにつながってくる話なのだろうなあと、おぼろげに理解しておりますです。
投稿: あさみ | 2005.01.07 17:03
やっぱビジュアルが説得力あるんですが、補足
鈴木さんの住宅はRCの大屋根に木造のインフィルが入った感じです。RCの部分の階高は3.6m程度でそこに2.4m程度の木造のボックスがばらまかれている感じ。これを見ると、好きな場所ですごせる気楽さがあって、例えば夏はRCの部分と木造部分を使い、冬場は木造の箱に引きこもって暮らす様な、生活領域の伸張がデザインされていることに気づきます。
毛綱さんの反住器は名前からはの印象と反し、厳しい気候に対する配慮に満ちています。3つの立方体が入れ子状に配置され、外殻は言わば巨大サンルームの様に機能します。また、最も内殻の立方体はCBで作られ、thermalmassとして機能します。
こんな具合に設備や駆体の性能を一意的に定め、この性能によって環境制御しようというアプローチ以外にも建築構成の問題によって環境と生活空間を整合させようというアプローチもある訳です。僕は、こういう発想が好きだし、可能性を感じます。
もう一点、設備にせよ、駆体性能にせよ、設計者は設計性能のみを過大評価しがちです。熱環境は体感の快適性が重要である以上、設計時のシュミレーションが実際どの程度快適性に効果があるか?とか、設計性能がきちんと確保できたかどうかの検証が甘いと思います。ランニングーイニシャルの比較もしかり、案外僕たち設計者は、建物を如何に建てるかには関心があっても、如何に使われるかには関心が希薄だったのかもしれない。と、いうわけで、少なくとも、僕自身は自分が関わった建物の事後評価は大事だと思ってます。身銭切っても測定する所存。ここまでやらずして、特定の工法の善し悪しを論じる資格は無いんじゃないかとすら思います。
つまり、感覚的なものを定量化した手段でしか、設計しようがないのは設計につきものの歯がゆい感覚なわけですが、これを建物がたった事後の評価を蓄積すること、、、つまり、感覚的な問題を定量化して評価すること によって、じぶんなりのツボをきちんと押さえたいということです。量から質への転換が言われるようになり久しいわけですが、案外ぼくら設計者は未だに量の世界の中に暮らしている模様。個人的には質を量というパラメータを媒介にして解像度高く描き出すのが僕たちの職能だと思ってます。
って感じでありまする。
投稿: 202 | 2005.01.08 23:30
激しく同意します。
しかし、歯がゆいというあたりが202氏らしいですね。
これは202氏も(若干方向は違いながらも)言及していることですので、反論ではなく似たようなことを編集長なりに書いたものとしてお読み下さればと思いつつ、
結局モノづくりというのは、最終的にはどうしたって量の世界に持ち込まなくては成立しないワケで、言うたら宿命みたいなモンだと思っています。つまり、最終的には量の世界から飛び出すワケにはいかない。簡単に言えば、図面に「ここはこう気持ちよく」と書いても、誰もそういう風には作ってくれないし、そもそも、そんな風な図面は書けない。
だから、定量化されたものの中に、どれだけの質を落とし込めるかということが、職能なのだろうということですよね。そして、その質を検証するための努力を、先人の知識を上手に使うことを含め、私たちは怠ってはならないということだと思います。
って感じですか?
投稿: あさみ | 2005.01.11 12:52
どうやら落ちた様ですね。よかった。ここから先は実践して時宜ご評価を論じ合う方が有効だと思います。
最後に、質→量ですが、最後にはかならず『コスト』という絶対量がたちはだかるんですよねぇ。ここは書くと愚痴になるので生産的ではないんだけど、高々一軒の住宅の場合はこれがクリティカルになる場合も多いと思います。ですので、僕は、住宅以外の文脈(改修とか、他の用途、規模)の問題も考えていきたいなと思ってはいます。あんまり、そういう仕事はこないんですけど、、、
投稿: 202 | 2005.01.11 14:46
時宜ご評価>事後評価
投稿: | 2005.01.11 14:47