住民参加と間接民主主義の関係について
住民主体のまちづくり推進 綾部市、地域振興協議会スタートへ
綾部市で来年度から、中上林、奧上林地区をモデル地区として、住民主体のまちづくりを推進する「地域振興協議会(仮称)」がスタートする。住民自身が一定の枠内で予算を編成できるなど、大幅な住民自治を可能にするシステム。10日、市議会一般質問の答弁で四方八洲男市長が明らかにした。
協議会は自治会連合会長や老人クラブなど、地区内の各種団体で構成される。同市が6月にスタートさせた「地域振興に関する準備委員会」で9月ごろアイデアが出され、以後は地区別にそれぞれ課題や特性を考慮して検討を続けてきた。
新制度では、地域の産業振興などを住民が仕掛けていくことを目指しているほか、地区内の事業の優先順位を協議会で決定し、予算に反映することも出来る。市は各地区の公民館に設置した事務局に、サポート役の職員を1人派遣。住民票受け付けや公共料金の収納など行政サービスも行う。
四方市長は「モデル地区で成功すれば、条例などを整備し、市内全域に広げていくことも考えている」と話している。
──yahoo!ニュース「京都新聞」12月10日21時58分更新より引用
これ、なかなかすごいですよね。何がすごいかというと、住民参加で予算が決められるという部分。住民参加の仕組みというのは、結局は直接民主主義の制度なのですね。だとすると、こういった動きというのは、間接民主主義制と真っ向から対立する可能性が高い。
つまり、どういうことかというと、
住民参加が進んだら議員さんの役割はどうなるの?
という問題が発生するということです。
この問題に関しては、箕面で市民活動をされている方とお話しした時に、面白い考え方を聞きました。
住民参加の活動というのは実践活動でありいわば「行政」部分であると。議員さんというのは「立法」担当ではないかということです。だから、市民と議員とで利害が発生するはずがないという論理。(そもそも議員というのは、住民の代表者なので、利害が発生するというのもオカシな話なのですが、、、)いわゆる三権分立をモデルに論理を展開しているワケですが、議員さんって地方行政でもやっぱり立法の役割なんですか?
冒頭の綾部市の例で言えば、予算の配分を(一部ではあるものの)市民が直接決められるようになったとすると、普通に考えたら予算審議をする立場の議員さんの立つ瀬がなくなりますよね。このあたり、どこでどう折り合いを付けるのかが注目のマトになりそうです。議員さんたち反対しないのかな?できないか。
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コメント
予算編成っていうのは、行政の仕事だと思います。ほんでもって、編成した予算を議会が決定するということじゃないでんしょうか。
だから、住民参加というのは、議会との対立ではなく、行政との対立ということになると思います。でも、これは、対立にならないと思います。なぜなら、住民が行政の縄張りを侵そうとしたら、行政はいつでも「はいどうぞ」と譲り渡すでしょう。
っていうか、平成の大合併の目指すところは、これじゃないかと思っています。もう、細かいところまで目が回らないから(金もないし)、住民でいろいろやってね、住民活動が十分でないところは、もう、だれも面倒見てくれないよ、むしろ、住民活動が盛んなところに(あんまりないけど)金を重点的に使いますよ、と。
一見けしからんようにもみえるけど、実際、金もないし、方向性としては、これしかないように思います。あと、地域企業の活用(行政への取り込み)も課題かなと。
投稿: ageee | 2004.12.12 06:49
そうです、そうです。予算編成は行政の仕事というのは、スジとしてはそうなんです。で、議員さんと住民参加の問題に関しては私の書き方がマズかったようです。予算の編成ってのは今回のテーマから言ったら些末な話だったのですが、それだけが重要であるかの様な書きぶりをしてしまいました。
なのでちょっと整理します。
その前に、、、、、。住民参加が行政との対立という構図になるのかどうかは、また別の問題です。どちらかといえば、予算の編成の手伝いを住民が(一定の根拠をもって)行うというように考えれば、簡単に対立と言うワケにはいきません。ageeeさんの言うように、住民がやってくれるんだったら行政はやらなくて済むのですから、どちらかと言えば協力体制です。
そもそも行政職員も公僕ですから、地域住民のために働いているワケで、構造的に対立のしようがないのです。そして、地域活動がどんなに盛んになったところで、行政職員が仕事を失うことはないですよね。
ところが、住民参加というのは、直接民主主義的活動です。これが進んでいくと、行政は住民が直接コントロールできるようになります。そうなった瞬間に、住民の代表として議員を選ぶという間接民主主義の手法が意味をなさないものになりはしないか?というところが私の主張なのです。極端な論法であることを承知でいえば、住民参加の仕組みというのは究極のところで、その理念の裡(うち)に、議会の撤廃を構造的に内包しているということです。(ホントか?)
こういう考え方が良いのか悪いのか分かりませんが、少なくとも、議会制民主主義からは、議会制民主主義を引っくり返すようなドラスティックな構造改革手法は生まれて来るはずはありません。世の中がドラスティックに変動しており、これに対応する構造改革が叫ばれる今、議会制民主主義の見直しを含んだ検討というのがあってもいいんじゃないかと、ふと思わないでもありません。(直感的には検討したトコロで、やっぱり議会制民主主義の枠組みが地域にとって最適であるということになりそうですが。)また脱線してしまった。
住民でいろいろやってね、住民活動が十分でないところは、もう、だれも面倒見てくれないよ、むしろ、住民活動が盛んなところに(あんまりないけど)金を重点的に使いますよ
というのは慧眼ですね。まさにその通りです。ただ、地域活動のあり方は様々であって良いとは言うものの、「地域活動しないと我が町にお金が落ちてこないみたいだから、住民活動でもやっときますか」的な住民活動が増えるようでは困りものです。世の中はなかなかうまく行きません。
投稿: あさみ | 2004.12.13 10:38
いますよね、議員で住民参加に反対する人。表向きは反対しづらい物だから、あまり言わなくて、でもワークショップなんかで物事を決めるとなると大反対する議員。やっぱり直接民主主義になると間接民主主義の議員は自分の権益を侵されると考えるみたい。やっぱり議会制民主主義は廃止して、直接民主主義社会を作るべきですよ。
投稿: 西 天平 | 2004.12.13 15:32
そ、それも極端だなあ。西さん。
私はそこまで言ってないですよ、、、。
地域にとって最良の解決が得られる方法が見出せるならば、議会制民主主義を見直すようなドラスティックな手法も検討すべきだとは思いますが、その合意をどのような形でとるのかに始まる、数多くのハードルが待ち構えているはずです。
例えば、直接制でやったとしても、全員出席で会議をするわけにもいかず、結局代表者会合みたいなことになるに違いないとすれば、その代表を選ぶ選び方は選挙と同じことになるに違いありません。
だから今の制度そのものを問題視するよりも、運用の方法を見直すべきではないでしょうか。そもそも議会制民主主義の理念は前の段落で述べたような問題解決の方法として生まれたものではないかと思うので、その理念に立ち戻って考えられるような思想の基盤をつくることこそが課題なのではないでしょうか?
ちょっと難しい問題ですね。少し考えてみます。
投稿: あさみ | 2004.12.13 16:04