建築は姿勢ではない?
今日もここで刺激を受けた。
彼女は、猪熊弦一郎美術館を、猪熊との対話を通じて設計した谷口吉生の姿勢を共感できるものとして評価しつつ、しかし「建築は姿勢ではない」ので、「行ってみなくてはなんともいえない」という。
建築を作品と呼ぶことが嫌いだということについては一個前に書いたが、理由を述べていなかった。今回刺激を受けたことと大いに関係するので、その理由をまず書いておく。
すべからく建築物は、その設計者によってデザインされるものであるが、その建築物の所有者が設計者と同一であることはごく稀だ。設計者は(たいがいの場合)人の金を使って建築デザインを行うのがその仕事となる。デザインとは(最近はそういう誤解も少ないが)奇抜な形を考えることではなく、住み手の思いや願い、予算、建物性能、姿形の好み、まちなみ、環境への配慮、安全性、快適性、、、、、、様々な要件を満たす建物の形を細部にわたって検討し提案する。それがデザインだと思っている。
彼女(ケンチクカさん)が言うところの「建築は姿勢ではない」というのは、私からみれば、どっちかというと建築=作品寄りの考え方だと思う。私は建築設計とは実はプロセスこそが大切なのではないかと思っている。建築設計がプロセスであり、住み続けることもプロセス、といってしまえば、要するに「全てはプロセスだ」みたいな話になってしまって、議論にはならないかも知れないけれどね。そんなことはどうでもいいか。
ここで私が言おうとしているのは、要するに「建築は姿勢かもしれないよ」ということなのだ。
「建築は姿勢ではない」という言葉の中に秘められているのは「建築とはモノの形が全てだ」という確信といえるのではないかと思う。行って見てみなくてはわからないというのはそういうことだ。建物がどんな環境に立ち、どんな存在感を示しているのか、どんな空間がつくられているか、雰囲気はどうか、美しいか、楽しいか、面白いか、、、、、、。これまで建築設計を生業にしている身にとって、建物のそのもの(建てられた事情背景などの付随する物語抜きの建物)がどんな姿形をしているかだけで勝負するってのは憧れではある。かっこいい。というか、それが建築であると言われればその通りと答えるしかないような気もする。
うーん。どうもこれは簡単な話じゃないぞ。もう少し考えてみる。
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