「施主の生活を大切に考えています」にハテナ
ある建築家の文章を読んでいて思った事をつらつらと書き留めておきます。その建築家曰く
「施主の生活を大切に考えています」ふーんと思って読み飛ばしましたが、よく考えたらすごいこと言ってますよね。施主の生活を大切にするというのは、建築設計を生業とするものの前提条件であって、わざわざ大上段に構えて述べるようなことでもないと思うのです。
いわば「あたりまえじゃんかよー」ということなのですが、わざわざ戦略的にこれを強調することが、セールスポイントになりうるということは、そうでない建築家がたくさんいるということの裏返しなのか?
そう思ったら少し背筋が寒くなりました。
施主の生活のないところに建築(建築がおおげさなら住宅でもいいけど)はありえないし、建築のないところに建築家の仕事はありえないはずです。「建築家なしの建築」はありえても、「施主なしの建築」はありえない。そんな当たり前のことが当たり前でない世の中なのでしょうか。って変なまとめ方だな。だめだ。
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コメント
はじめまして。
いわば「あたりまえじゃんかよー」ということなのですが、わざわざ戦略的にこれを強調することが、セールスポイントになりうるということは、そうでない建築家がたくさんいるということの裏返しなのか?
というより、一般の方の中に「建築家は施主の生活を大切に考えてくれない」と思われていると言うことではないでしょうか?
投稿: 仲里 実 | 2004.08.20 22:54
コメントありがとうございます。
その通りなんでしょう。たぶん。
でも、私としては、たとえそれが現実なのであっても、
一般の方の中に「建築家は施主の生活を大切に考えてくれない」と思われていることを前提に話を進めるつもりにはなれません。
「あたりまえじゃんかよー」というか、具体的な生活のないところに住宅はありえないと思うし、住宅の設計を具体的な住み手の生活像抜きに行うことは、私としては不可能です。
という意味で、建て売り住宅の設計ってのはどうも難しい。結局自分の家族の生活像なり、架空の施主の生活像をそこに落とし込むような設計の仕方をせざるをえない。実はそこにこそ建築家の抽き出しの多さとか、経験の深さなどが現れたりもするのかな、と少し脱線ぎみではありながら、そんなことを考えました。
きちんと議論しないといけませんね。またコメント下さい。ではでは。
投稿: あさみ | 2004.08.21 14:18