2009.06.23
水谷ゼミナール100回記念に参加
常に何日か遅れ進行になっちゃってますが・・・。
21日(日)は午後から元町に出て「水谷ゼミナール」に出席してきました。水谷ゼミナールといっても読者諸賢の中にはご存知ない方もあろうかと思いますので、ご紹介しておきましょう。
こういうのは、学芸出版社のサイトがお得意ですね。市民まちづくり支援ネットワークアーカイブスに、水谷ゼミの紹介がありました。
私たち水谷ゼミナールは、神戸市および阪神地域で主に都市計画と建築の分野で活躍された故水谷頴介氏の弟子と自称する者とその関係者が集まり、「都市と建築」について勉強し、議論しているグループです。
都市計画コンサルタント、行政プランナー、建築家、ランドスケープアーキテクチュア、大学院生など多様な仲間が集まり、2ヶ月に一度の研究会を続けています。
──市民まちづくり支援ネットワークアーカイブス「水谷ゼミナール」より引用
1992年10月に第1回のゼミをやって以降、2ヶ月に1度のペースを守り、震災の時の2月をお休みした他は、休みなく続けてこられた100回だそうです。編集長は縁あって何度か出席させていただいているものの、発表者をしたことはありませんが、今回はお誘いがあったので出席してきました。
まあ阪神間のエラいコンサルの先生が集まっていて、ちょっと気圧され気味でしたが、そこは編集長。厚かましさでは誰にも負けません。懇親会にも顔を出してきました。あ、しかも娘づれで。
さて、100回記念の水谷ゼミ第1部は、若手のプランナー5人が各地でやっていることを発表してました。それぞれ発表は興味深く、楽しそうにいろんなことをやってんのね。という感じでした。それに対して、先生たち(長老の皆さん・水谷先生の弟子たち)がコメントする。という形で会は進行していきます。
そこで、やっぱり世代差みたいなのはあるなあ。と編集長は感じました。
例えば、ある報告で長老の先生が「(活動の対象エリアの)人口増が必要」と述べていました。でも、編集長は、事業モデルとして人口増を前提とした計画は、遠からず破綻するだろうと考えています。っていうか既に破綻してるし・・・。また、どこかで人口増があればどこかで人口減が必ずある、という前提を抜きに無批判に人口増を追い求めて行く姿勢には疑問を感じます。何が言いたいかというと、要するに(もちろん全てではありませんが)コンサル自身が「右肩上がり発想」から抜けきれていないということではないか?ということなのです。
これに対して、東京からわざわざお見えの、林泰義さんが面白いことをおっしゃっていました。林さん曰く「設計者が設計委託料をとる」「コンサルがコンサルフィーをもらう」という発想では、今後やっていけないだろうということ。
編集長が林さんの言葉をどう受け止めたかというと、(プロの設計者・プランナーが)コンサルとして1回きりの設計料を受け取るのではなく、また役所の補助金でまちづくりをするのではなく、社会事業家の立場で(公益法人なりNPOなりを運営し)事業としてまちづくりをしていくような方法をとるべきなのではないかということ。そうした方法でまちづくりを行っている地域の団体はたくさんあるのだから、建築家やまちづくりコンサルができないはずがない。と、まあ、そんな感じでした。
これはまさに編集長が、この半年以上悶々と考え続け、なんとなくこうじゃないかなと思っていたことでした。林さんがかなり視野を広げてくれました。なんだ、これまで考えてきたことは無駄じゃないなと、ちょっと目の前が明るくなった気分になりました。この点に関してはもう少しきちんと考えたいと思います。
娘づれだったこともあって、皆さんとあんまり話ができなかったのが残念でした。また今度おつきあい下さい。
また、何かと娘の面倒を見てくださったみなさん。本当にどうもありがとうございました。
ではでは。
2009 06 23 07:00 午前 [15都市版 (都市計画)] | 記事 | コメ (0) | トラバ
2005.12.18
都市景観に対する意識
景観問題に関心低い中部圏 中部開発センター調査
都市や街並みなどの「景観についてよく考える」人の割合は、日本人全体では回答者の11.0%だったのに対し、中部圏では同7.9%と、景観問題に関する中部圏の人の意識が低いことが、研究機関の中部開発センター(名古屋市)が12日、まとめたアンケートで分かった。
調査によると、「住宅購入時に優先する項目」で多いのは、全国、首都圏、近畿圏とも(1)価格(2)交通の便(3)治安(4)景観—の順。ところが、中部圏の場合、上位3項目は全国などと同じだが、(4)教育環境(5)デザイン(6)景観—と続き、景観の優先順位が低かった。
──「Sankei Web 経済 051212の記事」より引用
中部開発センターが行った調査なので、記事は中部中心に描かれていますが、この調査、全国レベルで行われている上、日本国内に住む外国人を対象ともしていて、日本人の地域別の意識の違い、外国人との意識の違いなどを知るのには、なかなか面白いことになっています。有効回答数も(中部を中心にしているものの)5,219人と結構な数なので、データとしても割としっかりしていると考えてよいでしょう。
面白かったのは、まず、諸外国との住宅購入時に重視することの優先順位でした。第1が「価格」であるのは各国共通ですが、アジアを含む諸外国の人たちの意識では、「交通の便」よりも「治安」が優先されるのに対し、日本では「価格」「交通の便」「治安」「景観」という順になるというあたりが、お国事情を反映しているなあ。と。アジアを除く諸外国ではこの順が「価格」「治安」「景観」「デザイン(※1)」or「教育環境」と続くという感じです。
統計データから、編集長が読み取るのは、「地域の景観が良くなることについては賛成だけど、高い金出して建ててんねんから、自分の家の姿形ぐらい個人の自由にさせてえな」という総論賛成、各論留保の全体傾向でしょうか。しかし、統計の結論として日本人の景観意識は高くない(特に中部で)ということになっておりますが、編集長としては「結構思っていたよりも皆景観について意識してるんだなあ」という感想です。
以上のデータはこちらにあります。
中部の景観意識(中部開発センターのサイトより)
※同ページ内にpdf書類へのリンクもありました。
【投稿直後追記】
読売新聞にも似たネタを発見しました。
町の景観 関心薄い中部
ここにある
開発センターは「景観に関心が薄いと、(行政などが)景観の整備をしようとしても、住民の同意を得にくい可能性がある。魅力ある街をどうつくるか地域で議論し、目指すべき街のイメージを共有することが必要」と話している。
──「YOMIURI INLINE 中部発 051214の記事」より引用
というあたりが肝心かもしれません。「皆で議論」「目指す街のイメージ共有」というのが基本であると編集長は考えていますので、これには賛成なのですが、実は、そこに問題がないワケでもないです。以前のエントリーまちなみづくりマニュアルとその投書欄でも話題にのぼりましたね。ぜひそちらもご参照あれ。
【ここまで追記】
さて、いつものように、話は微妙に逸れていきます。
編集長は、ここのところ地域景観に関するお仕事が多くなっておりまして、あちこちで勉強会や、景観まちづくりワークショップのお手伝いをしております。全体の傾向を言いますと、最近では、いわゆる「歴史的まちなみの保存」に関しては一巡した感じで、ある程度の成果を上げつつあるという状況なのかなと思っています。
というのも、最近ではいわゆる「古い町家の立ち並ぶ地区」ではなく、どちらかと言えばあまり古いものが残っていない所や、オールドニュータウンのまちなみ景観、といったことがお仕事のテーマの主流になりつつあるからなのです。しかし、まあ、これは単に古い歴史的まちなみのことなら編集長以外にも偉い先生はたくさんいらっしゃるワケで、歴史的まちなみに関しては編集長にお鉢が廻ってこないという事情にもよるのかも知れません。
昨年から景観法が施行されるなど、地域景観・都市景観というのは(ホントかウソか知りませんが)全国的にも大きなテーマになりつつあるようです。少しずつですが日本の皆さんの景観に対する意識が現れ始めているようでもあります(統計によれば景観法の認知度は約50%と、決して高いとは言えませんが、、)。
で、
そのこと自体は良い事だとは思うのですが、たいがいの場合、景観に関する議論が「建物の姿形」や「市街地の姿形」(※2)の話に終始するあまり、私有物の姿形を規制しようとするなんて「私権の制限ではないか」とか「自分のものぐらい好きにさせてくれ」といった反応を引き出すことになりがちなところに、戦略のなさ、というか、なんというか、、、なんとなく納得のいかないものを感じています。
そこで、編集長としては、なんとか「良好な地域づくり」あるいは「魅力あるまちづくり」という、少し大きな観点から地域景観を捉える枠組みができないだろうかと模索中です。そして、今のところの編集長が地域住民の皆さんに提案しているのが「景観まちづくり」なのですが、しかしこの「景観まちづくり」というのも、キャッチコピーだけがあって内容が理論化されていない(笑)ので、説得力を持ち始めるのにはもう少し時間がかかりそうです。
一方で(話がとっちらかっていて申し訳ないのですが)、「景観」は間違いなく「公共の財産」「共有の財産」であろうと考えています。兵庫県内で言えば城崎町などで、そういった意識がずいぶん醸成されているようでもあります(このあたりはもう少しきちんとまとめたいけど)。
そして「私権の尊重」と「公共の財産」の概念をどのポイントですりあわせるか、というあたりを地域ごとに考えていく、あるいは、常に書き換え可能なルールとしていく、というのが、今の所の編集長の答えなのでしょうか?(と自問自答したり、、、、、って何のこっちゃ)
相変わらずまとまりませんね。<どうもこれは風邪のせいではなさそうです(笑)
※1
この「デザイン」というのも意味不明な概念かなあ、と。このアンケートでは「デザイン」と「景観」との関係をどのように理解しているのでしょうね。(というワケで、あとで※2も参照くださいね)
※2
あえて「建物のデザイン」とか「市街地のデザイン」と言わないのにはワケがあります。編集長は最近(師匠の影響を受けての考えですが)「デザイン」という言葉の使用に慎重になっております。つまり、「デザイン=奇抜な意匠」あるいは「デザイン=単なる見かけの装飾」というような理解に抵抗してみてもいいかなと思っています。
デザインという言葉にそういう意味があることは確かですが、デザインというのは、もう少し巾の広い概念ではないかと考えていて、「機能を十分に満たしていること」や「使いやすさ」や「安全性」「価格」、そしてもちろん「見た目の良さ」、さらにはそれをとりまく「人間関係」「コミュニティ」といったもの、こういったものを総合した『付加価値』をデザインであると理解したいのです。
そして、そういった『付加価値』をモノに付与する行為が「デザイナーのお仕事」ということになるのではないかなあ、と思うのです。このあたりの考え方は、まだうまくまとまらないので、皆さんのご意見をお聞きしたいなあと思っておりますです。どうぞよろしく。
2005 12 18 02:49 午後 [15都市版 (都市計画)] | 記事 | コメ (2) | トラバ
2004.10.26
イメージを描かない都市計画
都市計画の立場から現在の都市住宅の問題を考えたとき、最も深刻なのは「都市像の分裂」という問題である。都市像、すなわち「どのような都市空間で、どのようなライフスタイルで生活するのか」というイメージが共有できていたいという問題である。(中略)
しかし、都市計画の関係者は、制度や住民参加などの社会的な仕組みについては発言しても、都市像や空間イメージを論じることを避けてきている。克服すべき近代都市計画が、画一的教条的な都市像を描き、それを実現する手段を強引に進めたこととは対照的に、このことの反省から出発する現代の都市計画は、自ら「都市像」を描くことに躊躇している。(後略)
佐藤滋(早大) 「都市住宅学」誌21号(1998年)
以前に「田舎テーマパーク」の提案をした。先日出席した勉強会(※1)は「テーマパーク型まちづくり/らしさの都市像を求めて」というタイトルで、実はテーマパーク化しないためのまちづくり活動を紹介する、逆説的な勉強会でした。いきなりチャチャを入れますが、この勉強会で私は「まちづくりコンサルはテーマパークが嫌い」ということを学びました。
普通のまちを普通に住みやすくしようと考えるとき、テーマパークの概念は、あまりに商業的で、ケバケバしく、安っぽいイメージがあるから嫌われるようです。まあ、でも、それはテーマパークという概念(あるいは手法)が悪いのではなく、世の中に数あるテーマパークの質が悪いということなんじゃないかなと私は思っています。
■「都市計画=制度論」の誤り
冒頭の引用は、コーディネーターの後藤氏が当日紹介した論文からの引用です。後藤氏は、近年、まちづくり・都市づくりが、あまりにもソフトに傾いていることに危惧を抱いているようです。つまり、都市づくりが、それをとりまく法律のしくみや税金の制度、補助金・助成金の出所などの話に終始してしまい「きれいで住み良いまちを作りたい」という基本を離れすぎているのではないかというのです。制度論ではなく資金の手当でもない「ハード」を扱っているまちづくり活動を考えようというのが今回のテーマであり、サブタイトルである「こだわりのハード型まちづくりの取組みについて」ということになったのですね。
■目標としての都市イメージの重要性
私は、基本的にこの姿勢に賛成です。確かに、制度や資金の裏付けのない構想には確かに説得力はありません。しかし、具体的なイメージなくして地域住民の結束は不可能でしょう。これは自明のことなのに、どうして最近の都市計画は都市イメージを絵として描かなくなってしまったのか?。冒頭論文の佐藤氏は、それを都市計画の反省からきていると説明しています。
しかし、ここでの要点は、「克服すべき近代都市計画」が「画一的教条的な都市像を描き、それを実現する手段を強引に進めたこと」が悪いということであって、都市像を描いたことが悪いワケではないですよね。そんな風に目的と手段を混同してはいけません。
■なぜ都市計画が都市イメージを描かなくなったか
私が思うに、そんな難しい話じゃなくて、都市計画家たちはきっと文句を言われるのが嫌なんじゃないかと思うのです。絵を描けば具体的にイメージしやすいので、文句も言いやすい。だから、絵を描けば反発が必ず出てくるのが世の常ですよね。だから絵を描くのは後回しにして、予算の出所とか補助金制度などを押さえて、いわば外堀を埋める作業から始めようとする。そうしているうちに、計画は「きれいで住み良いまちを作りたい」という目的からどんどん離れて、もう決まったことだからという理由で一人歩きを始めてしまうのです。
■描かれた都市イメージの役割
意見がぶつかることを恐れていても何にもなりませんよね。むしろ、そういう「反発を引き起こすために、絵は描かれるものだ」というのが、私の考え方です。建築でもまちづくりでも同じことですけど、計画というのは多くの人の手を経ればそれだけ良くなって行くものです。多くの人々の意見を取り入れるためにも、意見を述べやすい場所を作って、わかりやすい(意見を言いやすい)絵を提示することこそが、現代における計画者の使命ではないでしょうか。プランナーとかデザイナーとか都市計画家とか建築家とかいろいろな言い方をしてみても、終局では実体的なモノの形となって立ち現れることを議論しているワケです。だとしたら、計画者が絵を描くことを恐れていて何になるというのでしょう。
■意見の対立を恐れることなく描く
残念ながら(というか幸いにもというか)、今のところ、私はそんな都市イメージを描ける立場にありません。しかし、私は、一建築設計者として、皆とイメージを共有するための絵を描き続ける計画者でありたい(イメージを共有する方法は何も絵だけじゃないことについては注意が必要ですね。と、書きながら気がつきました。)と思い続けています。軋轢でなく誘発を生み出す主体でありたいと思います。
今日は、ちょっと慣れないテーマで苦労しました。以上
2004 10 26 09:13 午後 [15都市版 (都市計画)] | 記事 | コメ (2) | トラバ

