2009.03.30
やるじゃん スタバ
スターバックス、神戸の異人館に出店
コーヒー店チェーンのスターバックスコーヒージャパン(東京)は二十七日から、国登録有形文化財に指定されている神戸・北野の洋館「北野物語館(旧M・J・シェー邸)」を借り受け新店をオープンする。同社が文化財を活用した店舗を出すのは全国で初めて。
絵画展示や読書が楽しめる店などテーマを設定して、従来とは異なる店舗づくりを進めるコンセプトストアの一環。コーヒーとともに歴史の古い洋館の雰囲気も味わってもらう狙い。
──神戸新聞「090325の記事j(魚拓)」より引用
元ネタ提供はakanem特派員。
この異人館「旧M・J・シェー邸」といって、明治40年の建設と言われています。まあ、言ってみればコロニアルな感じ(ハッサム邸やシュウエケ邸みたいに「The コロニアル」な感じはしませんけどね)の異人館です。
ケンチクは使われてなければケンチクじゃないというのが編集長の持論。そういう意味では利殖用のワンルームマンションもドバイの人工島の一戸建てもケンチクではありませんし、いわゆる廃墟(工事途中で打ち捨てられた建物など)系も編集長の定義によればケンチクではありません。
さらに、誤解をおそれずに言うなら、保存されたまま公開もされず人も住んでない歴史的建造物もケンチクではありません。きれいに修景されているけれど、人が全く住んでいないまちなみに、学術的希少価値以外の何があるというのでしょう(※)
使うために作る。使うために残す。ケンチクを愛でるというのはそういうことだと、編集長は信じて疑いません。だから、保存するためにお金を出そうという企業が増えるよりも、このスタバの例のように使おう、楽しもうというコンセプトで活用するような企業が出て来ていることを、編集長は高く高く評価したいと思うのです。
がんばれスタバ!!(負けるなタリーズ!!笑)
編集長は、コーヒー屋さんとしてはタリーズが好きなんだけどね。なぜか元町では長続きしないのよね。(南京町→メディテラス→元町商店街・・・みんな閉店してしまった・・・)マリンピア神戸にできたって言われてもねえ・・・。
※編集調的に一番微妙なのは明治村系です。あれはケンチクではないのか、と問われるとすごく苦しい気持ちになります。でも、あれはケンチクの剥製であってケンチクではありません。その建物がなくなってしまうよりも、明治村に移築された方がはるかにマシです。その方がいいに決まっています。
でも、ケンチクはそこに建ったという経緯・時代背景・気候風土・地域文化などなどを背負っていてこそケンチクであると言うべきです。明治村に行くと、最初は良いものを見ることができてうれしいと思っていても、だんだん目頭が熱くなってきてしまうのは、たぶん、それが剥製にならざるを得なかった背景事情に思いがいってしまうからでしょう。
かくも編集長はケンチクを愛しているのです。
(自分の設計したものであればなおさらです。(笑)
2009 03 30 07:00 午後 [07文化欄 (歴史的建物)] | 記事 | コメ (0) | トラバ
2009.02.24
旧立生糸検査所のこと
昭和初期の名建築、旧生糸検査所を買収へ 神戸市
神戸市は昭和初期の名建築で、貿易で栄えた戦前の神戸港の面影を残す旧神戸市立・国立生糸検査所(同市中央区小野浜町)を買収、ユネスコから認定を受けた「デザイン都市」のシンボルとして保存することを決めた。デザイナーらが創作活動に取り組む場として、都心ウオーターフロントの活性化にも役立てる考えだ。
──神戸新聞「090224の記事(魚拓)」より引用
あらステキ。この旧生糸検査所の存続については、昨年初め頃だったか、現所有者が売却・移転を決定して以来、その存続が心配されてきました。これまでの間「港まち神戸を愛する会」の皆さんなどが中心になって、シンポジウムや写生会・移転後の利活用のアイデアコンペなどを行ってきていました。
編集長は忙しさを理由に、これら保存活動にあまりコミットせずにサボっておりましたが、「どうなっちゃうのかな」と気にしてはおりました。・・・いや、正直に言うなら「残ってくれればいい」とこそ思いはしても「売却が決まっちゃったのは仕方ない」「残す方法なんかあるのかなあ」などと思っておりました。(いやホントに恥ずかしながら・・・)
でも、そういうのは「ハナから負け犬」根性っていうんですよね。普段、編集長は各地で「何を実現するにせよ、皆できちんと話合い、主張し合い、できるだけ多くの人を巻き込んで価値観をぶつけ合い、意見を共有し合うことこそが世の中を動かす原動力になる」などと生意気なことを述べておりますが、自分の足元でこれでは、紺屋の白袴もいいとこですね。いや、そもそも紺屋を名乗る資格すらありません。
久々のビッグでグッドなニュースに驚きつつも、よくよく考えたら、これは編集長にとっては恥じ入るところだな・・・。と思ったのはそういうワケです。反省中。
今日突然飛び込んで来たニュースなので、どんな経緯で神戸市さんがこの名建築の買収を決定したのか、詳しいことは分かりません。追々あちこちからニュースが飛んでくることでしょう。神戸市がユネスコの「デザイン都市」になった(参照:あさみ新聞「090116の記事」)ことも影響しているのかも知れません。
それもさることながら、多くの皆さんが建物の価値を理解し、愛し、その存続を訴え続けてきた。そのことが神戸市さんが買収に向けて腰を上げるきっかけになったことは間違いありません。その皆さんのご努力に深く敬意を表します。
保存運動を続けて来られた皆さん。とりあえずおめでとうございます。
おめでとうございます、で、いいんすよね。この場合・・・。
(フランキー中尾さん。すごいっすね)
全国で連戦連敗を続ける近代建築保存の運動ですが、消えて行くやつはニュースになりますが、保存活用のレールに乗ったものは、なかなかニュースになりません。願わくば、この間の活動をきちんと全国に発信されるようにオススメいたします。
神戸市さんもエラい!見識あふれる感じがします。
神戸市さんて、時々カッコいいことしますよね。
今後の利活用では、ご苦労もありましょうが、がんばって下さい。
編集長、及ばずながら、応援させていただきます。
あ、この建物「デザインクリエイティブセンター」になるみたいです。「神戸波止場町TEN×TEN」もそうだけど、若くて元気な企業家が、港にぞろぞろと集まってくるのはステキな感じですね。
2009 02 24 07:41 午後 [07文化欄 (歴史的建物)] | 記事 | コメ (2) | トラバ
2009.01.13
精道村役場の模型

えへ。随分前に書いた記事が下書きのまま残ってました。たぶん引用文が長過ぎて、本文の量が少ないという理由で社内記事審査を通らなかったものと思われます。蔵出しセール中につき、社内審査スルーで掲載します。
芦屋市役所に行く用事がありました。行くと役所の地階ロビーで気になる模型を発見しましたのでご報告いたします。模型に添えられたブレートには、精道村役場の縮尺=1:75の模型であることと、大正12年に完成して、昭和58年に解体されたことのみが書かれていました。
精道村役場についてちょっとだけ調べてみましたが、大正12年に竣工したことぐらいしか分かりませんでした。どこに建っていたのかも、ネット上の資料だけでは判別せず。市史あたりをあたれば判明するかもしれませんが、編集長はヘタレなので、今のところそこまではやりません。
広報あしやに、日本一と言われた市役所との記述がありますが、何の日本一だったんでしょうね。
明治二十二年(一八八九)、わが国の憲法が発布された歴史的な年に精道村が誕生しました。日本の近代経済機構が新しく形成されるにつれて、芦屋の地は、都市近郊の最適の住宅地として着目されるようになりました。それまで精道村の中心的な産業であった農業は、著しく変容し、大正から昭和にかけて、交通の発達とともに芦屋川を中心に住宅街が形成されて行きました。
山と海が迫り、白砂青松の自然環境と立地条件は、近代文学の名作の舞台にもなりました。住宅地の形成に伴い、地元の人たちは、耕地整理の実施、芦屋川改修工事、宅地造成駅の誘致などを積極的に行いました。
都市施設の充実は、国鉄芦屋駅の開設(大正二年)、阪急芦屋川駅の開設(大正九年)、日本一といわれた精道村役場の新築(大正十二年)、打出丘陵、宮川上流の開発、六麓荘の開発、上水道、電話の敷設、阪神、阪急バスの開通、郵便局、警察署、消防署などの設置、衛生施設の優先的設置、公私立学校の設立などが相次ぎました。
大正八年の人口は八千六百六十六人でしたが、昭和六年には三万人を上回りました。
──広報あしや2000年11月1日号「芦屋市60年の歩み」(岩本昌三氏 (元芦屋市立美術博物館副館長)著)より引用
構造はなに?RCっぽく見えます。だとすれば、兵庫県内でもかなり早い時期のRC建築ということになります。・・・「日本一」の記述の意味を深読みしながら考えると、たぶんRCなんでしょう。
詳細ご存知の方はご教示下さいませ。
#写真をアップし忘れてましたので、入れときました。
2009 01 13 07:00 午後 [07文化欄 (歴史的建物)] | 記事 | コメ (2) | トラバ

