カテゴリー「03評論欄 (建築論)」の記事

2006.12.26

景観条例 〜今、京都で起きていること〜

景観の話を始めると、どうしても大ネタになってしまって、書き上げられない記事が2本か3本書きかけのまま残ってしまっています。しかし、この京都ネタに関していうと、ニュースソースである京都新聞が1ヶ月しか見られないので、見られなくならないうちに、記事タイトルだけを緊急アップしておきます。この記事の解説と編集長の意見表明をやろうとすると時間がかかるもので、、、(笑

ということで、あさみ新聞のポリシーを今回だけ無視して、既に見られない最初の記事(京都新聞061124)だけは全文引用させていただきます。読者諸君は、あとのタイトルを「あとで読む」等のツールを使ってスクラップしておきたまえ(笑。っていうか順番に読むだけで何が起きているのかだいたい分かります。

市域全域で高さ、デザイン規制〜京都市が「新景観政策」案〜

京都市は24日、都心部の「田の字」地区だけなく市域全域で建築物の高さやデザインを規制する「新たな景観政策」案を発表した。高度地区で最高45メートルの高さ規制を廃止して31メートルに抑制、新たに12メートル、25メートルを追加して6段階に再編するほか、町家が数多く残る西陣地域などで20メートルから15メートルに引き下げる。
建物の外壁色彩基準も明確化し、屋上に設置する屋外広告も市域全域で禁止する。市は都市計画変更や関連条例を改正し、来年度の早い時期に実施していく方針だ。
市は歴史都市・京都の現状保存に向け、国から特別な財政支援などを受ける特別措置法制定を目指しており、景観保全策は特措法を実現する「切り札」になる。すでに、「田の字」地区で高さを45メートルから31メートルに抑制したり、世界遺産(14社寺)からの眺めを保全する新条例の制定を打ち出している。
今回、これらの規制策に加え、市域全域で建物の高さやデザインの規制改訂の全体案をまとめた。高さ規制の見直しでは、市内の市街化区域約1万5000ヘクタールのうち、3割強のエリアで最大16メートルから2メートルの範囲で現行規制より低く抑え、ビルの屋上に設置される塔屋の高さも現行「8メートル以下」を「4メートルまたは3メートル以下」に規制強化する。
また、美観地区で設定している5種類のデザイン規制を6種40地区に再編し、水辺や山すそなど各地区で街並みに調和した色彩にするよう誘導する制度も整える。
一方、屋外物広告については、ビル屋上に設置された看板のほか、点滅照明の広告物の使用を全面禁止する。既存広告物は一定の許可期間を設け、それを過ぎた場合、撤去を求めていくという。
京都市は27日から市民への見直し案閲覧を始め、約1カ月間意見を募った後、屋外広告や風致地区など関連条例の改正や、来年3月に都市計画変更を求め、市都市計画審議会に諮る予定。
──「京都新聞061124の記事」より全文引用

京都新聞061206新景観規制」関心低い? 〜閲覧1日数人、京都市困惑〜
京都新聞061207「適格」へ建て替え支援 来年度実施へ 〜京都市「高さ規制」強化策〜
京都新聞061212事前指導、困難浮き彫り〜京都市新景観政策〜(→ウェブ魚拓
京都新聞061214宇治橋通整備、景観に配慮〜府が初の説明会電柱を地中化〜(→ウェブ魚拓
京都新聞061217京の景観規制めぐり市民らが意見交換〜中京でシンポ〜
京都新聞061219京都市の新景観政策に不満の声 〜業界団体「規制根拠が明確でない」〜
京都新聞061223新景観政策に賛否渦巻く〜京都市に住民らが要望〜(→ウェブ魚拓
京都新聞061226新景観政策を議論〜京都市都計審税収影響、調査へ〜(→ウェブ魚拓

なかなか興味深いことになっているでしょう?よい傾向だと思います。ぜひ皆で議論していただきたいものです。

しかし、景観に配慮してできたマンションってのが

Keikan_kyoto1 Keikan_kyoto2


こんなんばっかりだとしたら、それもどないやねん。という気がして仕方がないです。
(写真提供はakanem特派員。ただしマンション名だけは編集長が消しました)

【追記:ちはる支局長から鋭いコメントをいただいたので追記しときます】
これらの写真の建物が「景観に配慮した建物」としてオーソライズされたものかどうかについては、未確認です。正直に言うとどうなんだか分かりません。ごめんなさい。このことに関しては編集長のコメントも参照下さい。
【追記はここまで】

この写真を見て「景観」という概念そのものに限界を感じた編集長は「脱・景観」宣言という記事を書きかけているのですが、これがまた、大ネタすぎて全く執筆が進まないという・・・(笑

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2006.12.07

働いてみたいオフィス

会社の規模や業務内容に関係なく、若手社会人や学生が「働きやすそう」「働いてみたい」と感じるオフィスに投票する「MYCOM オフィスアワード2006」で、建築事務所の横河設計工房(横浜市、横河健代表)が得票数第1位で大賞に選ばれた。
──「ケンプラッツ1205の記事」より引用

毎日コミュニケーションズが行った「学生と若手社会人が「働いてみたい理想のオフィス」を選ぶMYCOMオフィスアワード2006」というのが知らないうちに行われていたようです。

これは、オンラインで20社のオフィスの写真とコメントを並べ、読者に選んでもらったものです。基本的に社名や業種は伏せてあるので、純粋にオフィス環境・オフィスのコンセプトを比較するものになっているようですね。

ベースになっている20社がどのように選ばれたものかについては、どうもよく分かりません。ま、それはこの際どうでもいいやね。有効回答数は1570だとか。18才から35才の男女を対象にしていたもののようですね。そういう意味では編集長は投票の権利がなかったワケです。

基本的には就職活動中の若者を対象にしたアンケート調査だったようですので、横河センセイのオフィスが日本で最も「働いてみたい」オフィスなのかどうかは謎です(笑。

しかし、緑に囲まれた執務空間や、隣の公園の見渡せるカフェ、おそらく横河センセイのものと思われるオフィス空間に関するコメントを見ていると、やっぱり見せ方も上手だし、コンセプトも「立って」いるし、さすが横河センセイ。と言わざるをえません。

2位はワイキューブで、3位は新日鐵化学だそうです。こりゃ見てみなきゃわかりませんよね。ご覧になりたい方はMYCOMオフィスアワード投票ページをご覧下さい。

この20社のうちの3が横河センセイのオフィス、5がワイキューブ。19が新日鐵化学です。内容を見るとわかりますが、オフィスの良し悪しは別にして(別にしなくてもいいんですが)コンセプトの立て方と、コンセプトと実際の空間との関係、見せ方などが最も優れていて、実際の空間の魅力があるように思えるのは横河センセイのオフィスだと思いませんか?(いや、編集長はこの3つ以外は見てませんが、、)

編集長の好みもあるかも知れませんが、編集長も、このリストの中ではいちばんいいと思いました。(いや、転職したいとかそういうことではなくて、このオフィス空間で働きたいということですが、、、)横河センセイ、オフィス間貸ししてくれないかな、、、。そりゃ無理か。

建築計画の説得力と建築空間の魅力。この説得力と空間づくりの腕を見習いたいものです。ケンチクカに設計を依頼することのよさって、この辺に現れるのではないかと思います。ま、横河センセイの場合は自社オフィスではありますが、、、、。

そうそう、MYCOMオフィスアワード2006表彰式フォトレポートから、iPod経由で手塚センセイのプレゼンテーションとトークセッションを聞くことができます。こういう起業スポンサーの講演は、コマーシャルを入れてくれてもいいので、もっとポッドキャスト配信してくれるとありがたいです。(映像つきで配信してくれるともっとありがたいですが、、、。)


さて、編集長も頑張ります。まずは机の廻りの片付けから、、、、、<そこからかいっ!

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2006.10.14

学校への愛着は校舎に宿るのか

前回(060929)の記事「湯村温泉のケーキ」に、興味深いコメントをいただいたので、ちょっと引っ張ってみましょう。長い引用かつ、一部編集しておりますがお許しを。

先ほど、私の母校(小学校)の閉鎖が決まったとのニュースを知りました。神戸新聞がスクープで伝えたものらしいのですが(多分本当?)。。そんな話を聞くとやはり寂しいものです。(akanem特派員)

しかし母校がなくなるのは、なかなか悲しいものがありますね。(編集長)

母校が存続していても校舎が建てかわってしまっていては、あまり愛着を感じないです。
愛着があっても今の世の中、そう簡単に校舎の中に入るわけにはいきませんが。(ちはる支局長)

そうそう。その母校にすら簡単に入れない社会状況ってどうよ、と思わないではありませんね、時代の趨勢ってのはそういうことなのかと半ばあきらめムードな編集長ではありますが、、、、。
しかし愛着ってのは母校になのか、校舎になのかってのは深いテーマですね。ちはる支局長が特殊ってことはないですか?
読者の皆さんはどうでしょう?(あさみ編集長)

いやいや~そんなことないと思いますよ。
私もどちらかといえば校舎に愛着があるくちです。
現在息子の通っている幼稚園舎は私が通ったそのものです。
小学校舎も小改造はありますがほぼ昔のまんまです。
地域行事の打ち合わせなどで入ったりしていますが何気に「あー、こんなんやったなぁシミジミ」となっている自分がそこにはいます。(左官理事)
──あさみ新聞「湯村温泉のケーキのコメント」より引用

編集長は母校が消滅するのって悲しいよねと単純に思っただけなのですが、ちはるさんのコメントで、母校への愛着の形ってモノへの愛着として現れるんだなあと認識を新たにしました。思えば編集長の母校への思いを振り返ってみるに、確かに母校のイメージというのは校舎や校庭の映像を伴って思い出されます。

そして、よくよく考えるに、これはすごいことだなあと思うのです。

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2006.06.13

「イイ」の発見

建築プロデューサー朝妻さんのブログ060613のエントリー「家づくりって、どうやるの?
「ポリタン・コスモ」060414のエントリー「建築家・中村好文、熊野・野尻さん一家
「井の中の蛙」060503のエントリー「仕事の流儀 建築家・中村好文氏。」にトラバです。

家づくりって、どうやるの?
「いい家のつくり方って、どうやるの?」
私のところへご相談にお出でいただく多くの方がこう言います。
『いい家のつくり方』
残念ながら、これなら絶対という方法は私にも分かりません。

もちろん、私がいいと思う家の姿はいくつもあります。 私が好きな家のタイプもいくつもあります。

しかし、それは『私が』いいと思う家であって、皆さんにも
それが当てはまるとは限りません。

(中略)

自分がいいと思う家をつくればいいんです。
自分が気持ちいいと感じる家が“いい家”です。

私はそう信じています。
──建築プロデューサー朝妻さんのブログ060613のエントリー「家づくりって、どうやるの?」より引用

あら、ステキ。
自分がイイと思うもの、自分がイイと思える場所をつくる。
そういう意味では、自分独自の「イイ」の発見こそが、
最も大切なステップなのかも知れません。
自分の「イイ」が見つかれば、家づくりなんて8割方出来上がってる
ような気がします。(8割は言い過ぎか、、、)

住宅ではないのですが、最近お施主さんに、

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2006.02.07

バカハウスの幸せ

細かいところまで養老先生が指定されたのかと思ったら、実際には藤森さんが「養老先生はこういうのが好きだろう」と好き勝手に作ってしまってもののようである。
(中略)
「自分に合う家」と思えるものを人に作ってもらって、そこに機嫌よく住んでいるというあたりに、「自我イメージ」というのは自分で決めるものではなくて、他人が勝手に「そう思う」ものであるという養老先生の持説そのものが具現化しているような気がする。
──内田先生の『内田樹の研究室』のエントリー「脳の迷宮バカハウス」より引用

ふむふむ。なんだかステキな話ではあります。この「自分に合う家」を人に作ってもらった時に、そこに機嫌よく住めるかどうかというのは、よほど作り手と住み手の間に信頼関係が成立しているか、住み手が破天荒なまでに寛容か、のどちらかによってしか成立し得ないような気がします。この場合は、両者ともかなりイイオトナなので、どっちもが当てはまるのかなと思いますけど。

こういうのは「ケンチクカセンセイが自分の作品性を重視して住み手の意向を押し切って設計をする」という、よくある建築家批判のプロトタイプの範疇には入らないのではないかと思いますが、皆さんいかが?

っていうか、ケンチクカセンセイがワガママを尽くしたとしても、それで住み手が幸せならそれでいい、という話もなくはないワケで、これは幸せなケースなのだろうなと思わずにはいられません。こんな仕事ができるように、編集長も精進せなあきませんな。幸せな仕事がしたい〜<ゼイタクか?

しかし、養老先生と内田先生の16時間の対談って、どちらもうらやましい。


毎度、編集長の話題は内田先生のところの話で「またかよ」と思う読者の皆さんには申し訳ないです。しかし、この内田先生、毎度毎度グッとくる文章を書いて下さるので、ついついネタ元にしてしまいがちなのです。これでもかなり我慢している方なんですが、今回の話題は藤森先生設計の建物で、かなり話題が編集長のそばままで来ているので、ついつい紹介してしまいました。

ではでは。

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2005.07.01

熊本アートポリス

県アートポリス 3代目コミッショナーに伊東氏 東京の建築家
 県は三十日、くまもとアートポリスの建築事業の方向性を決め、建築家を推薦するコミッショナーに、新たに建築家・伊東豊雄氏(64)=東京都=を任命したと発表した。伊東氏で三代目。
 伊東氏は東京大卒で、代表作にせんだいメディアテークなど。二〇〇二年にベネチア・ビエンナーレ建築展で金獅子賞を受賞。県内では八代市立博物館(アートポリス参加事業)などを手掛け、一九九八年から同事業バイスコミッショナーを務めてきた。
 県庁であった就任会見では潮谷知事が「伊東氏は同事業とは深いかかわりがある上、国内外から高い評価を受けている」と任命理由を説明。「建築だけでなく、熊本駅前再開発など都市空間づくりについてもご意見を伺いたい」と話した。
 伊東氏は「アートポリスは、建築は文化であることを全国で初めて表明した行政プロジェクト。熊本でしかできない建築で、熊本から世界に発信していきたいと思っている」と抱負を語った。
──「くまにち.コム 050701の記事」より引用

「くまもとアートポリス」は、1988年から熊本県が進めている建築文化事業です。アートポリスネットによれば、「質の高い建造物の建設を通じて、
熊本県全体にわたるまちなみや環境を中心とした、地域の整備・活性化を目指します。事業の範囲は建設だけでなく、展覧会やシンポジウムなど文化的イベント、出版や建築ウォッチャーのためのツアーを企画したりもしてきました。 このような事業を継続することで、やがては後世に伝えうる文化を熊本の地に創造しようという目標を持っています。」という主旨の事業です。

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2005.05.13

スタルク先生

4月に行われたミラノ・サローネの情報がぽつぽつとサイト上に登場しております。編集長は行ったことがありませんが、できれば一度は行ってみたい。

【参照サイト】
All About 「ミラノファッション通信」
日経BP 「新インテリア風景」
hhstyle.com 「2005 ミラノサローネ速報」
海外インテリアブログ
などなど

このミラノサローネ。正式名称は「"Salone internazionale del mobile"(ミラノ国際家具見本市)」といいます。イタリアのミラノで開催される世界最大の家具見本市で、毎年4月に開催されています。インテリアデザイナーとして最先端を目指すなら、必ず見ておきたいイベントです。

日本からのツアーなんかもあって、知ってる人は知っている。毎年行く人は毎年行くという感じですね。まあMacの世界で言えばAppleのWWDC(Worldwide Developers Conference)みたいなものだと思えば、、、って、ちょっと規模が違うか。
個人で行こうとするとこの時期のミラノはどこもホテルが一杯、かつ郊外のホテルに泊まるとこの時期は道路が一杯というオソロしい状況になっているそうで、毎年年末ぐらいには予約の手続きを始めた方がいいらしいですよ。

イタリアデザインってのは、日本ではなぜか、もてはやされています。編集長は、明るいくて楽しげで健康的な感じがウケているのだろうなと思っています。そういえば、編集長は副業の副業で、イタリア人建築家の事務所に参画して(いることになって)おります。サイトをご案内しておきます。

ドディチドディチhttp://www.dodici12.com/

今日は、このミラノサローネに出品されていたスタルク先生の話題。

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2005.05.11

シドニーのオペラハウス

一つの建築が国のイメージを変える
 ところがこの「白い帆」をどんな材料でどう作ればいいか、ウツソン自身も世界トップレベルのプロのエンジニアたちもなかなか答えが出せず、見切り発車で基礎工事が始まった。それでもなお、解決の見通しはたたない。そうこうしているうちに予算はふくれる一方となり政権も変わり、ウツソンへの風当たりはいよいよ厳しくなった。
 ついに66年、彼は辞表を出し、プロジェクトを離れた。73年、仕事をひきついだ地元の建築家チームの手で建築が完成した際、総工費は当初予算の約6倍であった。
 無駄な公共工事、税金泥棒、建築家の独善、無責任……今日の日本社会で問題とされている公共工事への批判がほぼすべて先取りされた。この建築のトラブルが原因で政権が交代したとまで噂(うわさ)された。
 しかし半世紀たった今、この建築の悪口をいうオーストラリア人はほとんどいない。ここで開催されるイベントは年間1600を超え、世界有数である。
 ウツソンは2003年、建築界でもっとも名誉あるプリツカー賞を受賞した。審査員の建築家フランク・ゲーリーはこう讃(たた)えた。「あれほどの妨害と批判にさらされたにもかかわらず、彼はたったひとつの建築が、国全体のイメージさえも変えられることを証明した」。オーストラリアを思い浮かべる時、確かに多くの人の頭の中で、この「白い帆」が揺れているかもしれない。
──「asahi.com『奇想遺産 シドニーオペラハウス』(隈研吾)」より引用(引用文のタイトルは編集長による)

隈さんの文章は分かりやすくていいですね。というか凝縮されているので(略)を入れるところが見つからず、長文の引用となりました。実は編集長、ヨーン・ウツソン【John Utzon(1918-)】が、事情があってオペラハウスの設計者を降りたということは知っていましたが、それ以上の詳細な事情を知りませんでした。とても大変だったようですね。

この前後のウツソン氏の状況は、前川事務所からオペラハウスのコンペに勝ったあと、ウツソン事務所に移籍した三上祐三さんが、JIAのサイトに書かれていますので興味のあるかたは是非どうぞ。かなり面白かったですよ。また、編集長は未読ですが三上さんは「シドニーオペラハウスの光と影―天才建築家ウツソンの軌跡」という著書も書かれていますので、気になる方は読んでみては?

ウツソン氏は1918年のデンマーク生まれ。だそうです。オペラハウスのコンペが1957年ですから、この国際コンペに勝った時、39才(38才?)の時だという計算になります。(うわあ、ちはるさんどうしよー。私たち、あと3年しかないよ、、、って何もウツソン氏と張り合うこともないわけですが、、、)

上記の三上さんの文章中にウツソン氏によるオペラハウスのスケッチが載っています。なんだかウマいのか下手なのか良くわからないドローイングです。でもオペラハウスであることは分かります。これをスケッチした時には、ウツソン氏の頭の中には、今シドニーに建っているあの建物の姿がほぼ出来上がっていたんでしょうね。うーん。あやかりたい。

ウツソンさんは今や第一線を退いているようですが、息子さんがそのあとを引き継いだようで、コペンハーゲンに事務所があります。興味のある方はUtzon Assosiates Architectsをご覧あれ。

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2005.04.16

ツールとしてのCAD(2)

予告してしまい、コメントまで付いてしまったので、重い腰をあげて「ツールが人に及ぼす影響」などということを考え始めたのですが、どうにも考えがまとまりません。こういう時は思いつきを網羅的に書き記すことから始めるのが「編集長流」の文章作成技法です。

ここでいきなり本論に突入してしまうのですが、こんな技法が使えるのも、実はエディタみたいな便利なものがあるから、という見方はありえます。例えば、これがワープロなしの手書き路線なら、山ほど京大型カードを使って、関連するものをホチキスで止めて、大きな紙にポストイットを貼りまくって、KJ的なことをやって、文章を書いては消し・切り取り・張り合わせ、、、。なんてことになりますよね。

ワープロがあればこんな作業がものすごく簡略化できます。と続けようとしたのですが、よく考えたら、結局やっていることは手書きでもワープロでも一緒みたいな気がしてきました。

なーんだ結局やってることは一緒じゃん。ちょっとワープロの方がこの作業が気軽にできるだけなのですね。これこそワープロがツールであるという所以です。ワープロがどんなに便利でも、創作活動を私たちに成り代わってやってくれるワケでは全然ない。

というワケで本日は、寄り道企画として、いったんCADを離れて、おとなりネタである「ワープロ」について考えたいと思います。

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2005.04.15

ツールとしてのCAD(1)

今日の記事を書くきっかけとなった巴香堂さんにトラバ

普段私たちが図面を引くときには、CADを使っています。分からない人のために解説するとCADというのは、普通私たちはキャドと呼んでいるもの。「この先の交差点を右に曲がって、3軒目のたばこやさんのCADを曲がって、、、」て、これこれ、それはカドやんけ。

もとい。

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2005.03.20

宝ケ池プリンスホテルについて

中村謙太郎さんのブログにトラバ

「撤退リスト入り」に戸惑い 宝ケ池プリンスの関係者ら
 西武グループ経営改革委員会がリストアップした売却・事業撤退候補の中に、京都宝ケ池プリンスホテル(京都市左京区、322室)が含まれていたことが18日、明らかになった。円筒形のユニークな外観で知られ、京都国際会館で開かれる国際会議の参加者の宿泊施設として利用されてきた同ホテルも、近年は赤字体質から抜け出せないでいた。
(中略)
 同ホテルは建築家村野藤吾氏(故人)が基本設計した円筒形のホテルで、86年10月に開業。比叡山を望み、「高級リゾートホテル」と位置づけられた。同ホテルの進出をめぐっては、京都へのサミット誘致を目指す京都の経済界から働きかけもあったといわれている。
(後略)
──「asahi.com の記事050318」より引用

村野藤吾センセイのサクヒンですね。適切な写真がまたも見つからないので、ホテルのサイト「京都宝ケ池プリンスホテル」でご覧下さい。

西武グループは、今、どうも苦しいことになっております。まだまだ建物は使えそうですので、どこかが買い取ってホテル運営をしてくださると、村野センセイにも申し訳が立つというものです。しかし西武がやって赤字なものを引き受ける受け手がいるのかどうかは問題ですね。いやいや、西武だからアカンという可能性も大いにありますけどね。

編集長は、村野センセイのファンでございますので(この状況であれば、おそらく建物が消滅することはないでしょうけど、なくなったりしたら)「もったいないじゃん」と思ってしまいます。村野さんだからっていってことさらに「残さなくちゃ!」となるのも「どうなの?!」と思わんでもないですが、、、。

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2005.03.19

都城市民会館について

都城市民会館の「存続」「解体」を併記した中間報告
 宮崎県都城市の都城市民会館の今後の活用策を検討する「市民会館管理運営対策プロジェクトチーム」が、中間報告を公表した。同会館は、建築家の菊竹清訓氏の代表作の一つで1966年の開館。「現状のまま存続」、「大規模改修して存続」、「解体」という3 つの方策について、コストの積算をしたもの。市民に長年親しまれてきたランドマークを保存するか、厳しい財政状況の中で「結論の先送り」を避けるか、「市民ニーズの確認が必要」として、3案を併記するにとどめた。
──「KEN-Platz (nikkeibp.jp) 050317」より引用

昨日のエントリーにて、建築ネタを予告しましたが、どっちかというと歴史ネタに近いかもしれません。

都城市民会館は、菊竹センセイ(菊竹清訓)のサクヒンです。すぐ見られる場所にあまりいい写真が発見できませんでした。このあたりからたぐって見てみて下さい。編集長的には、かなり暴力的なデザインとも思いますが、カッコイイっちゃカッコイイです。菊竹さんって、やっぱり60年代の人だなあ。

この中間報告書は都城市のホームページから入手できます。(こちら

この報告書では、結局市民の代表者で「市民検討会議(仮称)」を設置することや、構造診断の実施を求めているそうです。構造診断は費用がかかるため、まずは予備診断を行うことにした模様。そして市民ニーズ、経済的検討、文化財的価値を踏まえて2005年度中に市長に最終報告を行うとのこと。

編集長としては、こういう建物も歴史的建物として残しておいてもらいたいと思います。しかし、それは市民の皆さんが考えることだとも思っています。そして、その判断の過程で、ぜひ、この建物の価値(経済的・制度的・愛着的・歴史的・思い出の風景的な価値)を洗い直す作業を丁寧にしていただきたいと思います。

この場合、残すとしたら、どれだけの費用がかかるのかという問題になりますよね。このために耐震診断(上記記事中では構造診断)を行おうというものなのですが、耐震診断ってのは、「まあ、とりあえずやってみよう。」で行うには費用がかかりすぎるという問題があります(この市民会館の場合2300万円位かかるそうな)。

実は、建物がどんな状態であっても、お金さえかければ補強はできます。ほとんど今の技術にできないことはないと言ってもいい。だとすれば、あとは補強改修にどれだけの費用がかかるかが判断の分かれ目になる。実は、基本的に、耐震診断というのは建物を残す(存続させる)ことを目的に行います。(だって取り壊すものに何千万円もかけるのはおかしいですからね。)だから診断の議論は常に補強計画とセットになります。で、あればこそ、やはり、残せるか残せないかではなく、残すとしたらいくらかかるのかという事が問題になるというワケ。

耐震診断なんかしなくても、構造の専門家(設計者ね、大学の先生じゃなくて、、)を一人呼んでくれば、補強改修にどれぐらいの費用が発生するのかは大体分かります。(経済的・制度的に)残せるのか残せないのかの議論をするよりも先に、残したいのか残したくないのか、それは何故なのかという議論をきちんとしておくべきであると編集長は考えています。

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2005.02.24

子供部屋の間取り

 長男が小学生になる。子ども部屋をどうしようか。空間配置だけの問題と思うのに、そうはいかない。小さいうちは親が居るリビングに机を配置せよと言う人もいるし、長じてから個室を与えれば自分の権利と思って親に立ち入らせなくなる、幼いうちから与えて親も出入りすべきという人もいる。要するに、間取りではなく子育て論になっているわけだ。
──「間取り」小橋昭彦(MM『今日の雑学+』050224)より引用

 小橋さんは「今日の雑学」を以前は毎日、最近は週1回発行し続けているネット上の有名人で、兵庫県人です。1〜2年前、春日町に戻ってお仕事をされています。あまり建築ネタになることはありませんが、今日のネタが「間取り」だったので、ケンチクカとして反応してみました。

 この問題、我らが故宮脇檀センセイは「個室なんかいらん、ずっとリビングで暮らしたらいい」という主張をしてらっしゃいました。間取りのみならず、ケンチクカが建物を設計するときには、おのずと住宅であれば「子育て論」とか「夫婦のあり方論」「高齢化社会論」などなど、学校であれば「教育論」「子供のための空間論」、博物館であれば「博物館学」「ディスプレイ論」などに踏み込む必要が出てきます。場合によっては、ケンチクカがそこまで踏み込まなくても、施主側できちんと考えているので、建物の設計さえしてくれたらいいというクライアントにも出会います。

 この種の問題、ケンチクカがどこまで踏み込むのが良いのか?職能としてどこまで踏み込む責任があるのか?は、大変微妙な問題であるといえます。

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2004.12.03

内から考えるか、外から考えるか

プロフェッサー藤森によると世には
「内から考える建築」と「外から考える建築」
とがあるそうな
内部のディテールから始める建築家もいれば
ファサードのイメージから始める建築家もいると
──blog「家について記録。もしくは妄想。」 041128のエントリーより

 「家について記録。もしくは妄想。」さんにトラバ。なかなか奥が深い議論ではあります。

 かつて似たような話を卒論でやったような気がします。その時は「上から、下から」だったと思いますが、、、。もう一つ思い出すのは、確か松葉一清氏だったと思いますが、丹下健三と村野藤吾を比較して同じような議論をしていました。丹下さんは外から派、村野さんは内から派みたいな区別をしていたような。原典が手元にないのでうろ覚えですけど。

 大きなところから考えるのか小さなところから考えるのかというのも似たような区分の仕方ですね。

 私は建物の身体性というか、生活感みたいなものは大切にすべきだと思っていて、一時期「ドアノブ」のデザインを丹念にやっていけば、それが建物全体に及んでいって大きな建物になっていく、というような設計ができるのではないかと考えておりました。今でも考え方としては編集長にとって憧れを残す考え方ではあります。しかし、コトはそんなに単純ではありません。

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2004.11.22

三鷹天命反転住宅

■建っちゃうんですねえ

荒川修作氏の「天命反転住宅」が竹中の施工で着工
 現代美術家の荒川修作氏が自ら建て主となって建設する分譲集合住宅「三鷹天命反転住宅」が10月20日、東京・三鷹市大沢で着工した。
(中略)
 荒川氏が集合住宅のデザインを手がけているが、実務的な設計については安井建築設計事務所と竹中工務店がサポートしている。構造は壁式鉄筋コンクリート造で地上3階建て。延べ面積は約760m2。分譲戸数は9戸。
──NIKKEIBP  2004年10月22日 18時53分

 建物の計画自体は知っている人も多いとは思いますが正式に着工したって知ってました?画像はこちらの荒川修作氏のサイトをどうぞ「三鷹天命反転住宅
 関連記事等を総合するに、7月には確認申請は通っていたようですが、着工が遅れていて周囲を心配させていたらしいです。どうもとっつきにくい建物なので、編集長はちょっとこういうのは苦手ですが、食わず嫌いは良くないと思って、よくよく見ればちょっと中銀カプセルタワーに似ていなくもないです。なんか居住ユニットがわしゃわしゃとくっついているところがね。
 んで、荒川のサポートに、竹中工務店と安井建築設計事務所が入っています。編集長は、荒川さんの『サクヒン』である「養老天命反転地」へ行ったことがありますが、どうもうまく消化できなかった記憶があります。やろうとしていることは分かるし、空間体験としてはなかなか面白かったですが、本当にそれが巨大な装置として必要なのかと問われたら「?」と返すしかない。

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2004.11.20

建築設計製図

さて、設計製図をやっていて、また、最近の学科での戦略会議に出ていて、考えさせられることがある。全員が建築系研究室に進まない(進めない)という実態の中での「必修設計製図」はなんぞや?、と。
で、その答えは・・・
「建築の製図を行なうこと」が、環境を考えるときの何らかの方法論として有効なのではないか?ということだ。プレゼンテーションや、模型を使って考えること、つくるために調査する姿勢、手で考えること、絵にして考えを伝えること、などなど。
彼らに「建築設計製図」が直接役に立つから教えているのではなくて、「建築を考えるプロセス」がこれからモノをつくり出す上で有効だからだ、と考えて演習を組み始めている。
──『ポリタン・コスモ』(hiraさんのブログ,2004年11月19日)の記事より引用


 hiraさんの「復帰か?設計製図演習いってみよか。」にトラバ。トラバの作法が良くわかってないので、あさみ新聞スタイルで始めます。とにかく、なんだか大変そうだけど、hiraさん体にだけは気をつけて下さい。
 あさみ新聞では、編集長の守備範囲でないことから、建築教育については割と意識的にその話題を避けてきました。教育の現場をナマで知らないから仕方がないのです。今回はhiraさんが話を振ってくれた(振ってないって!)ので、ちょっとだけ思うところを。

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2004.11.14

どこでもドア空間論

オフ会終了。興味深かったのはどこでもドア空間論。
皆さん。もしどこでもドアがあったらどこに住みますか?これって自分の居住環境に関する重要な質問ですよね。


【11/15追記】
えーとオフ会終了後、酔った頭で忘れないようにとアップしたエントリーです。
トラバいただいたのに気を良くして「トラバ大募集キャンペーン」を実施します。みなさんばんばんトラバお願いね。ってかなりマイナーだからなあ、、、この新聞。

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2004.11.12

家族論から住宅を考える

■「家族論—それは住宅という建築の形式か内容か—」

住宅を考えるには家族について知らなければというように、ハード(建築)をやる際にソフト(内容)を知悉しなければならない、といったら話は通りやすいかもしれないが、あまりに正当な意見でありすぎ、かえってそれは本当かなどとひねくれて問い返したくもなる。基本的にソフトとハードの間には必ずずれが生じるからである。いくらソフトに密着しても、それがうまく機能するとは限らない。例えどのように調査主義的に事実を並べても、そこから立ち上げられる、例えば「生活」像なり、「家族」像なりは、一旦抽象的なモデル化を経てはじめて成立する。同様にこれを空間の配列に置き換えていく作業もまた無媒介的に自律するわけではない。図式化されたプランは抽象物(これもモデル)であり、現実の空間はそれに留まらない次元(美的な、あるいはデザイン的なと限定するつもりはない)をもっているからだ。さらには現実にその空間に介在してくる人間も計画通り振舞うはずはない。時間的なファクターまで入れればそのずれはさらに拡大する。私は計画は可能性をつくりだす(それがなければ建築をつくる意味はない)とともに、それ以外の可能性を──閉め出すとはいわないまでも──著しく限定するという意味で一種の(権)力の行使であると思っている(これは設計者がユーザー・フレンダリーか否かとは別のことなので念のため)。しかしそれに対してユーザーが計画意図を裏切る自由をもっているとも思う。このずれは建築を廻る最も面白い要素なのではないか? しかし、だからといってソフトはどうでも、ユーザーが何とかするさという話でもない。とりわけ私のように思想的な意味に関心をもつ者にとっては、ソフトがもつ思想的な意味(正直ここが微妙で説明しにくいのだが、社会学的な意味とはあまりいいたくない)はそれ自体として関心を惹く事柄である、と、(後略)
──「家族論─それは住宅という建築の形式か内容か?」八束はじめ(「10+1」2004/05 より)

   太字強調は引用者による

 八束はじめさんは相変わらず難しい言い方をしますね。家族論の冒頭のマクラの部分から引用しました。なんとなく心に引っかかった(悪い意味ではありません。「釣り上げた」くらいの意味)のでコピペしといたものです。思うところを書き始めてみたら、最初に企図していたより面白くなりそうな予感。

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2004.11.06

建築はコミュニケーションプロセスである

建築は世界を変えうるかシリーズの番外編ということでお届けします。

建築をつくる場面で現実の問題をコミュニケーションしていくプロセスが重要で、そのプロセス自体が設計であり、建築である。
1)デザインが目的化されるのではなく、コミュニケーションを通じたプロセスの中で建築がつくられ、作家主義とは違う組み立てられ方ができると思う。
2)すでに設計するという意味が決定的に変わってきていて、今まで以上に建築家のコミュニケーション能力が問われている。
3)建築はそれ自体が目的であると同時に、目的を共有するための手段でもあり、コミュニケーションのフィールドでもある。
───「コミュニケーションしていくプロセス自体が建築である」(山本理顕,『建築家』2004年11月号より抜き書き)

 山本氏は言うのです。「建築=コミュニケーションのプロセス」であると。
 そうか、やられたなあ。やっぱり私が考えているような事は、先輩がきちんと考えているのですね。

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2004.11.04

建築のスタッフロール

 予告した文章は、もう少しかかりそうです。(なかなか難しいのよ。って、期待させといて「なんじゃ、こんなもんか」と言われそうな感じなのよ〜。困ってんの。)

 そこで今日は先日、久しぶりに映画を見ていて気づいたことを。(逃げんのかっ♪オイ)

 たいがいの映画では、最後に、関わった人々の名をかなりコト細かに記載したリストを、下から上へと流しますね。あれをエンドロールとか、スタッフロールとか言うそうです。あのスタッフロールにどこまでの人が記載されるのか、そのルールは知りませんが、見ているとかなりな数です。まさかエキストラの群衆の一人一人とか、スポンサー企業の営業マンの名前まで流れているとは思いませんが、それでも、主体的にその映画に関わった人たちはきっと全て表現されているのでしょう。
 いや、案外偉い人たちだけが記載されていて、下っ端どもは名前も出してもらえず「いつかあそこに名前を出してやる。」というような人生ドラマが隠されているのかもしれない、、、などと考え始めるときりがありませんが、、、。

 著作のあとがきなどに書かれる謝辞も似たようなものかも知れません。しかし、本の場合は、著者を励まし続けた担当編集者の名前や装丁者の名前、それからその本を捧げるべき奥さんの名前が出されるくらいで、印刷屋の親方とか、植字工(そんな職業はいまやないか)の名前までは出て来ません。雑誌の最後などに、編集部のスタッフの名前が全部出ていることはありますけどね。

 とすると、映画のあの「しつこさ」は何なんでしょうか。

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2004.10.27

「集まって住む」ことについて考え込む

マンション管理組合のでき合いイントラネット
とある【マンション管理組合】の理事長に選出されたMさん
「とうとう理事長に選ばれちゃった。」
「何をすれば良いんだろう??」
「土曜日、いっぱい時間取られるんだろうなぁ。。」
そんなあなたに、「マンションポータル イントラネッツ」
詳しくは
http://uranus.excite.co.jp/r.asp?4115948&0007EO&0017&0027
今なら1ヶ月無料体験可能!
(中略)例えば、こんなことができます
●管理会社、管理人、理事会等から居住者の皆様へのお知らせ
●行事のデジカメ写真、総会、理事会の議事録などの閲覧
●総会での出欠確認、欠席の場合の議決権行使
●ゴミ収集日や点検などのスケジュール確認
●管理会社、理事会からの簡単なアンケート
●あげます貸します、イベント等の参加者募集、おすすめのお店や病院などちょっと聞きたいことなど、居住者の皆様での意見交換

 今日は皆が食いつきやすそうな話題です。
 このシステム。かなりニッチですね。ニッチすぎてちょっと怪しい感じもしますが、エキサイトのオフィシャルメルマガからの引用ですので、それなりに信用してもいいかなと?。
 実際、こういうのが商売になるわけです。目のつけどころはすごく良い。皆が求めていた感があります。このあたりの需要をきっちり押さえるのがニッチ商売のポイントです。

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2004.10.14

渡辺篤史:住宅行脚の威力

行脚100
 船井総研には、「行脚100」と言われる考え方があります。これは、コンサルタントが自分の仕事やテーマに関連したお店や施設を、とにかく100ヶ所まわるというものです。100ヶ所見れば、どんな人間でも繁盛しているお店とそうでないお店の違いがわかるようになります。
 それだけではなく、どれくらいの売上げがあるか、集客数はどれくらいか、スタッフは何人くらいいるか、何故この店が繁盛しているかまでもがわかるようになります。言い換えれば成功の方法がルール化できるようになるのです。
 よく店をひと目みて客数や売上言い当てたりすると、びっくりされることがありますが、これは超能力でも何でもなく、単に経験則が確立しているということなのです。
 もし今ひとつ打開できないという思いがありましたら、来年はこの「行脚100」にトライしてみてはいかがでしょうか。モデルにするテーマを設定しながら、とにかくたくさんの事例を見れば、必ず何かしらのヒントを得ることができます。
週刊まちおこし 第92号 (2003年12月30日発行)

 船井総研という会社があります。大変個性的な会社だと思います。いわゆる経営コンサルタント会社なのですが、いくつかのメールマガジンを購読していると、なかなかどうして魅力的な会社だなと思っています。割と社内のノウハウをおおっぴらに公開してしまっていて、こんなのメールマガジンで配って商売は大丈夫なのかなと心配になってしまうこともあります。そこは素人考えで、きっとこれだけのノウハウを垂れ流しにできる位の凄い会社なのかも知れません。(って、どう考えてもその方が素人考えですね。)

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2004.10.09

寡黙なケンチクカは存在しうるや

二階子世帯内部は引戸だけで仕切られたワンルーム感覚。一層26坪にも関わらず、40畳のリビングダイニング空間が確保されています。長さ3.6メートルのオープンキッチンと4メートルの大テーブル。家族二世帯が集まって更にお客さんを迎えても余りある14人がけのディナーテーブルになります。子どもの勉強と親の仕事と食事が同時にこなせる空間です。お風呂もリビングに開け放って使っていることが殆どです。部屋には仲間はずれがありません。冬は全体がオンドル式暖房と薪ストーブで温かくTシャツ一枚で暮らせます。夏は南北の大開口と天窓を開け放って、家中アウトドア空間として使っています。一階親世帯は庭と収納を重視した構成ながら、風の道を確保しています。引戸を全部開けると、風がぐるぐる回って行き止まりの無い家です。
手塚貴晴+手塚由比 「建もの探訪

 普段めったにテレビは見ませんが、今日は朝から渡辺篤さんの建物探訪を視聴。というのも、昨晩うちの奥さんから手塚さんご夫妻の自邸を放映すると聞いたもので。手塚さんの設計する住宅は、とにかく気持ち良さそうで、なかなかステキ。と常々思っているのです。
 で、その感想ですが、住宅のクオリティは、もうやっぱり手塚ブシが効きまくっていて、大開口と大テーブル、最小限の部屋構成が、なんとも見事にハマっていました。しかし、、、、。

 手塚さんしゃべり過ぎってことありませんか?

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2004.09.30

携帯の鉄塔は景観阻害要因か?

 県内の景観維持を目的に制定されている県景観条例では、大きな建物の建設などは事前の届け出を義務付けているが、種類別でここ数年目立っているのが携帯電話基地局の鉄塔と風力発電の大型風車だ。携帯電話の通話地域拡大と、自然エネルギーの普及には不可欠な存在だが、さらに数が増えることで周辺の景観に影響を及ぼすことも懸念されている。
大型建設物、景観への影響懸念」 東奥日報 (9月27日)

 青森県の記事です。青森県では県の景観条例(「青森県景観条例」平成8年3月27日青森県条例第2号 )が定められていて、高さが13mを超える工作物の届け出義務を定めています。この届け出義務ってのは、かなり微妙な制度で、届け出をしさえすれば良いということが多いのですが、青森県もそうなのでしょうか。こういう制度は行政としては何を狙っているのでしょうか。要するに現状を把握したいのか?それとも届け出を出して来た人を指導したいのか、、、、。しかし条例に定められていなければ、それは指導ではなくて、お願いですよねえ。って今日はそんな話ではありません。

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2004.09.22

この国の変化

 ふだんほとんどテレビを見ない私です。
 帰りも遅いことが当然のようになっているため、眠っている妻子を起こすわけにもいかず、勢いテレビを見ない生活が続いています。先日(月曜日でしたか?)は、娘にたまには早く帰って来いなどと言われ、いそいそと家に帰りました。(娘はそれでも既に寝ていましたが、、、、)
 そんな訳でテレビなんぞを見ていたわけですが、、、。すごいね。世の中って変わりつつあるようですね。実感しました。というのは、

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2004.08.05

「施主の生活を大切に考えています」にハテナ

 ある建築家の文章を読んでいて思った事をつらつらと書き留めておきます。その建築家曰く

「施主の生活を大切に考えています」
 ふーんと思って読み飛ばしましたが、よく考えたらすごいこと言ってますよね。施主の生活を大切にするというのは、建築設計を生業とするものの前提条件であって、わざわざ大上段に構えて述べるようなことでもないと思うのです。
 いわば「あたりまえじゃんかよー」ということなのですが、わざわざ戦略的にこれを強調することが、セールスポイントになりうるということは、そうでない建築家がたくさんいるということの裏返しなのか?
 そう思ったら少し背筋が寒くなりました。

 施主の生活のないところに建築(建築がおおげさなら住宅でもいいけど)はありえないし、建築のないところに建築家の仕事はありえないはずです。「建築家なしの建築」はありえても、「施主なしの建築」はありえない。そんな当たり前のことが当たり前でない世の中なのでしょうか。って変なまとめ方だな。だめだ。

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