2010.01.18

15年

相変わらずうまく書けない話題を。

昨日は静かに家で過ごしました。

あの災害を乗り越えて、色々と前向きに活動されている人たちがいます。それはとても素晴らしいことだと思いますが、編集長は、どんなイベントにもコミットできず、結局家で一人で過ごすことになりました。

震災10年のときと、13の時に少しだけ書きましたが、基本的に私の思いは前にも後ろにも進んでいません。たぶん、きちんと消化できていないのだと思います。

毎年、この日の前後はテレビを避けて通っているのですが、知人に借りたDVDを見るためにテレビをつけてしまって、ちょうと「ひょうご安全の日推進県民会議」の式典をやっているところに出くわしてしまいました。

息子さんを震災でなくした遺族の方のお話を聞いて、さんざん涙を流し、結局、午後は全く何もできなくなりました。災害に遭った多くの人にとって震災は終わっていません。私にとってもそうです。

2年前の文章を、改めて採録して今日のところはおしまいにします。

能天気に明るい未来を語るのも、うつむきながら失ったものを数えることも、勢いよく怒りを表明することも、何かウソのような気がして、上手に書けません。
あれから街はずいぶんとその風景が変化しています。一方、何も変わってないよなあと思うこともあります。
「覚えておくこと」そして「伝えること」、また、もし何かが起きたら「たたかう(何と?)ための心の準備をしておくこと」を淡々と続けることでしか、自分の経験や思いや職能と向き合う方法はないのだろうと、なんとなく考えています。
──あさみ新聞080117「13年 」より

合掌

2010 01 18 10:16 午前 [02社説  (私の主張)] | 記事 | コメ (2) | トラバ (0)

2009.12.26

小規模集落に通っていて思うこと

お久しぶりですみません。

編集長が、兵庫県の小規模集落元気作戦の集落元気アドバイザーとして、但馬のいくつかの地域にお邪魔していることは既にお知らせした通りです。実際のところ、農業が分かるわけでもなく、地域経営のプロでもない編集長が、集落でどのようにお役に立てるのかは本人も分からない部分があります。ともあれ、集落での議論の潤滑剤として便利に使って下さいと皆さんには申し上げているところです。

各地区で何度となく、集落懇談会というか村づくりワークショップを重ねて来ています。村の皆さんは基本的に大変お元気で、話も弾む場合が多いのですが、やはり、小規模集落(まあ、いわば限界集落一歩手前の地区というと分かりやすいでしょうか)が抱えている少子高齢化・過疎化・後継者難・耕作放棄地の増加などの問題は、簡単に解決できる問題ではないようです。

地域に通っていて思うことは、どのように村を活性化したらよいか?あるいはそもそも活性化すべきなのか?いやいや活性化って一体なんなんだ?というような議論をこれまで行ったことがない地域が多いように思います。そんな議論が必要なのかどうかについても考えたことがなかった人たちが多いのではないでしょうか?しかし、それでも皆さん、このままだとマズいかも知れない、という漠然とした不安はお持ちの方が多いのも事実。

編集長がもし村のお役に立てることがあるとするならば、その一つは「そうした漠然とした不安は本当に不安材料なのか?」あるいは「この問題はどれくらいヤバいことなのか?」を、皆さんと一緒に考えることではないかと思っています。そして、正しい材料を手に入れた上で村の将来について、皆で考えて行くための議論のお手伝いをさせていただくこともまた役割ではないかと考えています。

しかし、そうした議論を進めて行くためには、いくつかの問題があることが見えてきました。

一つ目は、お手伝いしている私の余所者性の問題があります。確かに、一般的には、地域づくりにおいて、他所からみた地域の価値評価や、余所者・若者のアイデアが役に立つことは多いことも事実です。でも、「村の将来の不安について考えましょう」とか「村の将来を真剣に考えましょう」と、都会からやってきた若造(村の皆さんに比べれば十分若い・・・汗)がいきなり言い初めても、地域の人々にとって、そんな話に乗ってみようとは、なかなか思えないのも当然だろうなあと思うワケです。そうした話ができるようになるためには、編集長がもっともっと村のことを知らなければならないし、少なくとも編集長が、どれだけ村にコミットしようとしているかを分かってもらう必要がありそうです。ここに一つ目のポイントがあるのではないかと考えました。

もう一つ重要なのは、村の皆さんどうしが村の将来についてきちんと議論できるような関係を構築することではないかと考えます。おそらく、皆さんはそういう議論をこれまでしてきた経験が少ないため、どう議論していってよいのかが見えていないのではないかと思います。
これまで地域の皆さんは自治会活動などを通じて、目の前にある問題に対処するための議論は得意としてきました。例えば「イベントをする」という課題に向けては、内容を決め、役割分担を決めて、予算を組んで、実施に向けて皆でかんばるというような場面では、すばらしいチームワークで課題をこなしていきます。でも一方、簡単に「正しい・正しくない」が決められないような議題や、そもそもどこに問題があるのか発見しようという議題、とにかく全員がフラットにたくさん意見を出してみてから考えよう、というような議論の方法に慣れていないように見えます。二つめの問題としては、ここをなんとかする必要がありそうです。

地域の皆さんと編集長との信頼関係を確立することと、地域の皆さん相互のコミュニケーションのスキルをできるだけ高めることが、とりあえずの問題のキモのような気がしています。なかなか大変そうだけど、小規模集落元気作戦の事業期間も残り半分を切っちゃいました。この冬、少し地域の皆さんとじっくりお話ができたらいいなあ、と考えています。

2009 12 26 08:24 午前 [14地方版 (地域・まちづくり)] | 記事 | コメ (3) | トラバ (1)

2009.11.14

退職・独立のお知らせ

今日はちょっとあらたまってお送りします。
すでにお知らせしている方も多いけど、ここでも、ちゃんと挨拶しなくちゃって思ってさ。

拝啓 深秋の候、皆様ますますご健勝のこととお慶び申し上げます。
さて、私こと、このたび、15年にわたり勤務してまいりました株式会社いるか設計集団を10月末日付で円満退社し、独立開業をすることとなりました。

在職中は公私にわたり大変お世話になり、ありがたく、厚く御礼申し上げます。

今後も、これまで力を入れてきた、景観まちづくりや、小規模集落の支援のお仕事を中心にして、まちや地域をフィールドに、人とのつながりを大切にしながら、お仕事を続けていこうと思っています。もちろんこれまで以上に建築の設計にも力を注ぎたいと考えております。

当面は開業準備ということで、落ち着かぬ日々を過ごしておりますが、落ち着きましたら改めてご案内をさせていただきたく思います。

今後とも、元気よく楽しく頑張りたいと思っております。ぜひとも今までどおりのご指導・ご助言をいただければと思います。

どうかよろしくお願い申し上げます。

本来ならば、ご挨拶にお伺いすべきところではございますが、まずは略儀ながら本紙上をもってお礼かたがたご挨拶申し上げます

敬具

2009年11月

浅見雅之

そういうわけで、今開業準備中です。
詳細は追ってまたお知らせします。

いま、あさみ新聞のマイナーバージョンアップ中です。
いつのまにか、ココログのTypePadのバージョンが上がってたりと、
マイナーバージョンアップといいつつも、かなり根本的にいじってます。
ううう。なかなか大変ですよ。

なかなか忙しいです。どたばたどたばた・・・・。

2009 11 14 08:38 午前 [02社説  (私の主張)] | 記事 | コメ (8) | トラバ (1)

2009.11.13

立方体と豆腐をスケッチで描き分ける

なんでもいいから更新しろと、ある人に言われまして。ちょっとモードを変えようかと。

いろいろ身辺が激変中でして、きちんと皆さんに挨拶・お知らせせねばと思いつつ・・・すみません。もう少しお時間くださいませ。

さて。昨日は全国路地サミットのスタッフ打上げ。C社でお酒とお鍋。若者も何人かいて、なかなか楽しかったです。やっぱり学生さんや、若者たちと話をするのは楽しいです。ああ、でも、時々、説教モードとか自慢モード(オレも昔はワルだったぜ・・とか?)とかが炸裂しているのかも知れません。若手諸君すみません。

さて、昨日。立方体と豆腐をいかに描き分けるか、というお題になりました。皆さんいろいろ挑戦してましたが、編集長が描いたものをアップしときます。

Img_0567
こっちが豆腐

Img_0568
こっちが立方体

C社の空間はなかなか濃密で楽しいので、いずれここで「ケンチク塾」をやりたいなあと思いつきました。寸法論から景観論まで・・・。なかなか楽しい授業になりそうな気がしますが、生徒が集まるかどうかが問題かと。

ではまた。

2009 11 13 11:21 午前 [01人声人語(雑談・独り言)] | 記事 | コメ (2) | トラバ (1)

2009.11.04

長野集落の交流会に参加

小規模集落のイベントでまたまた但馬に行ってきました。
今回は長野集落。養父市で最も神戸に近いところです。朝来のインターから車で10分というところ。
芋掘りをするよって聞いていたのですが、編集長は姫路バイパスの事故渋滞により遅刻。お芋掘りはほんのちょっとだけしか参加できませんでした。残念。
娘を連れて行きましたが、娘は5〜6個は掘れたよううで、大満足のようでした。

091103nagano_imo
採れたイモ(ごく一部)

長野地区は、4つの集落が一緒になって小規模集落元気作戦に取り組んでいるところです。普段はアドバイザーとしてC社のM氏が通っていますが、今回は県庁さんからお誘いを受けて私たちもお邪魔しました。これまでに明石のマンションとの相互交流などをやっていたり、こうしたイベントを企画したりと、かなり元気な皆さんです。

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おばあちゃんたち

あんまり4集落が集まることもないので、こうした機会に皆さんが顔を合わせるのはよいことみたい。こんな感じの場所が村のなかにあればいいな、というのが編集長の提唱する「村カフェ」の原点です(村カフェについてはいずれ詳述しますね)。

091103nagano_mochituki
イモ掘りのあとは、お餅つきなど

実は、長野の皆さんにきちんとお会いするのは初めてで(一度ワークショップの手伝いをしたことがありますが・・・
)皆さんにとって「こいつ、何者?」という状態だったに違いないのですが、皆さん気さくに優しく迎えてくれました。

091103nagano_oroshi
おろし餅が絶品

とにかく美味かったなあ。辛めの大根おろしとお醤油で。

091103nagano_yakisoba
焼きそばも絶品

091103nagano_takibi
たき火(バックに雪山)

播但道路で雪山を見たときは、どうなることかと思いました。タイヤないし。
たき火を使って焼き芋を焼いています。

091103nagano_yakiimo
焼き芋も絶品

娘は、熱くてもてないので服で抱えて、お箸で食べてます。

091103nagano_yakiimo2
ちょっと工夫してみた

紙コップに焼き芋をいれて、お箸で食べてます。

091103nagano_imo2
イモ計量

採ったイモは、計量して、重いのを掘りあてた人を表彰しようというもの。

091103nagano_hyosho
イモ掘り表彰

皆、元気で朗らかな人たちでした。なんだか楽しくていいなあ。
最後に皆で記念写真。
091103nagano_kinen

長野の皆さん。突然押し掛けてすみませんでしたが、とても楽しみました。
皆さん、寒い中、朝早くからの準備、ほんとうにお疲れさまでした。
たくさんお芋をいただいたので、ご近所さんで分けていただきました

どうもありがとうございました。

2009 11 04 11:55 午前 [14地方版 (地域・まちづくり)] | 記事 | コメ (2) | トラバ (1)

2009.11.02

住まないとだめだ

週末。また小代に行ってきました。

猿の防護柵や稲刈りに、都会の若者を呼んでみた経験をふまえ、今後、どうやって都会の若者とつきあって行くかという点で重要な会合でした。

前回、学生さんたちを稲刈りに呼ぶ事になったのは、春に行った猿の防護柵設置の作業の時に来てくれた学生さんたちが、とても気持ちのいい元気な若者だったので「もう一度呼ぼう!」となったものです。

それはそれで良かったのですが、編集長が失敗したこともあります。実は、前回の猿の柵の時には学生さんたちはコテージに泊まってもらったため、参加費が高くなってしまっていたという問題がありました。そこで、今回の稲刈りでは「じゃあ稲刈りを手伝ってもらう方の家に泊めてあげてみては?」と編集長が提案してみたワケ。

でも、これは集落の皆さんには、かなり負担だった様子でした。そもそも、学生さんを家に泊めてあげることができたり、朝昼晩の食事を用意したりできるご家庭なら、稲刈りのお手伝いも不要なのでしょうね。初めからコテージなり自然の家なりにお泊めしたら良かったと反省しております。(あ、ちなみに学生さんたちには農家民泊はかなりウケてました。それでも寝る時間が違うとか、お互い気を遣うのはしんどいというご意見も、当然ながらありましたけどね)

稲刈りなんて、学生さんは作業そのものが初めてですから、当然1人分の戦力にはなりません。それでも、いないよりは作業が前に進むので助かる。というのが現実の地元の皆さんのお気持ちだろうと思います。一方で、若者がやってくると、やっぱり元気をもらえる。と言って下さっているのは、ありがたいなあと思います。
村の人のいい皆さんは、どうオモテナシしたら良いか分からないし、手伝ってもらうのもちょっと気を遣うという意識もあるため、都会の若者と、どうつきあっていけばいいのかというのは今後ずっと大きな課題であり続けそうな感じがします。

さて、今後の予定ですが、お1人で暮らしているご老人の中には、雪囲いやら雪おろしに、人手が必要な人もいらっしゃる感じ・・・。なので、これを都会のヒトで手伝えないかな、と考えています。

そもそも雪囲いは、大変ではあるものの「いつまでにやらなければならない」という期限のある作業ではないので、ぼちぼちと、何となく、皆さん自力でやってらっしゃる作業のようです。人によってはシルバー人材を頼んで作業をしてもらうというご家庭もあるとうかがいます。まあ、「シルバー人材っていったって、発注側も受注側もシルバーな人たちじゃん」とよく言うのですが・・・。

これが地元に住んでいる若者ならば、皆さんの意識もずいぶん変わると思います。やっぱり都会から時々若者がやってくるだけではダメで、半ば無理矢理にでも若者を集落内に住まわすことの意義はめちゃくちゃ大きいのではないかと、最近考えています。

行政がお金をかけてアドバイザーを派遣するお金があるならば、そのお金を、1人でも若者が集落に住めるような工夫ができないか。と考えます。国の集落支援員のような考え方で、民家を借り上げて、そこに最低限のお金だけを与えて若者を住まわせるような仕組みはできないものか?と思います。

まあ、この財政難に、新たに人を雇う話がしにくいのはよく分かりますが・・・。

考えれば考えるほど、若者を集落に送り込むことの必要性を感じます。もちろん編集長が行ってもいいんですが、それだけで食べていけるような商売がそこにあるワケではないのがつらいところ。編集長が開拓して、後のことは若者に任せる。みたいな仕組みができるといいなあと思うのですが、何せ編集長もそのあたりに疎い部分がございまして・・・。行政に頼らない「若者が住める仕組み」。どなたか編集長と一緒に考えてみませんか?

たぶん、住む場所さえなんとかなれば、あとは若者の自助努力でなんとかする、というモデルを考えうるように思います。ただ、実際には、住む場所がなかなか手に入らない。空き家なんてありそうなモノだけど、売ってもらおうとするとかなり大変なのですよ・・・。行政さんが買ってくれればいろいろと楽なのですが、行政にそんなお金もない。

とにかく、役所より自由な立場の誰かが、うまく廻すための仕組みを今すぐに作り始めないと、おそらく手遅れな村が今まで以上に続発するものと思います。今やるしかないんじゃないかな・・・。だれか、編集長に空き家譲ってくれませんか?あ、あるいは空き家を買うための資金を出資してくれてもいいですよう(笑

で、突然ですが。

というワケで、独自に資金を集めたり、独自に研究活動をしたりするために、本日付けをもって(ああ、もう昨日だよ・・・)、現在の会社を円満退社して、フリーランスとして働くことにしました。今現在はフリーランスでは受けられないお仕事もたくさんやっているので、しばらくは現在の会社の軒先をお借りして営業させていただく予定です。これによって、クライアントの皆さんにもできるだけご迷惑をおかけしないような方法で独立することができるように思っています。

今の会社では、何もかも本当に自由にやらせてもらって、大変感謝しております。おそらくこのまま自由な感じでやらせてもらうのは可能だし、その方が、私個人としては絶対に楽だと思います。

それでも一応雇われの身としては、会社に収益をもたらさないと居心地が悪というのはあって、これが、今回の独立の大きなきっかけの一つになっています。一方、小規模集落支援のようなお仕事にあって、持続可能なモデルをつくるためには、やはり地元で人やお金が廻っていく仕組みを考えならず、それができるのは、やっぱり「食うのに必死」な立場から考えてるヤツなんじゃないかなと考えたワケです。で、そんなヤツがいないかなって人材を探したら「やっぱりオレ?」ってな気分になってしまったというワケ。

これまで、集落を飛び回り、地元にコミットしまくりつつも、サラリーマンとしては立場にも能力にも限界があるように思ってきました。今回の独立をきっかけに、今後はこれまで以上に自由でフレキシブルな動きができるようになりたい。と考えています。

実は、現在、事業を法人化すべく奔走中です。また、いろいろ決定したら皆さんにもお知らせします。

今後うまくいくかいかないか。そんなことは全く分からないけど、とにかく「目の前の誰かをできるだけ喜ばすことができるように」がんばりたいと思っています。読者の皆さんも、ぜひぜひご支援下さいまし。

ではでは。

2009 11 02 12:29 午前 [02社説  (私の主張)] | 記事 | コメ (8) | トラバ (1)

2009.10.22

加藤文太郎ゆかりの場所めぐり

ちょっと日が経ってしまいましたね。先週は金曜日から日曜日まで、3つの仕事と1つのイベントで、ほぼ全て美方郡内で過ごしました。(一度資料作成に神戸に戻るという変な行程でした。)

18日の日曜日は浜坂で行われた「文太郎のゆかりの地めぐり」に参加してきました。

Hamasaka_buntarou
(これは参加された方から送ってもらった写真)

浜坂のまちなかはよく知っているつもりでしたが、文太郎さんのお墓参りから始まって、城山にあがり、岬の先まで行くのは初めてで、海はきれいだし、参加された皆さんはいい人たちばかりで、実に楽しい1日になりました。同行してくれた山本さんに、ワカサハマギクや、タンゴイワガサなどの地域の植物や、ジョロウグモなどのクモのレクチャー
をしてくれて、少しだけ物知りにもなりました。

Hamasaka_wakasahamagiku
これがワカサハマギク

Hamasaka_tangoiwagasa
こちらがタンゴイワガサ

さらに、編集長は、炉端にあった木の実を「ムカゴ」だと教えられました。持って帰って塩ゆでしたら、ビールのお供に最適といわれて、少し持って帰ってきました。

Hamasaka_mukago
これがムカゴ

なんだか、あさみ新聞ぽくない記事になっておりますな。まあ、ともあれ、浜坂は良いところです。引っ越したいなあと思うぐらい・・・(<神戸に家を建てたばっかりでしょうが・・・)。皆さんもぜひ浜坂にお越し下さいませ。

灯台のきれいな写真が取れたので最後にお見せしましょう。

Hamasaka_toudai

■追伸
ムカゴは塩ゆでして食べました。娘に好評でした。「イモだな」と言っていました。確かにイモです。

2009 10 22 01:10 午後 [14地方版 (地域・まちづくり)] | 記事 | コメ (0) | トラバ (0)

2009.10.15

引越完了&新聞再開

お久しぶりです。南谷日記では、ゆるゆると更新を進めておりますが、リアルではすでに引越完了しました。まだ荷物が片付きませんし、工事も終わっていませんが、とりあえず家族は既に新居に移っております。いずれ、皆さんにもぜひお越しいただければと思います。

あさみ編集長の自邸建設奮戦記「南谷日記」はこちらよりどうぞ
南谷日記

新居には、小さな小さなオフィスを作らせてもらいました(約3畳)。しばらくここでお仕事をさせてもらおうと思っています。現在、お仕事の体制を整え中です。近々皆さんにもお知らせできることと思いますので、しばらくお待ち下さいね。

さてさて、編集長の最近の動向ですが、

この夏は、いくつかの小規模集落のお手伝いをしてみたり、災害のあった平福に行ったり、某市で事業コンペの主催者側のお手伝いをしたり、景観アドバイザーをしたり、各地でワークショップのお手伝いをしたりしながら暮らしております。そうそう、公民館の設計業務も初めました。

毎度言っていて、なかなか続きませんが、今回こそ、ぼちぼちと更新を続けたいと思っています。ポイントは
構えずに更新」「続けることこそ価値」ということで。どうか今後ともあさみ新聞をよろしくお願いいたします。

自邸建設奮戦記「南谷日記」は、時々更新していますので、時々ご覧になってくださいまし。

2009 10 15 06:37 午前 [01人声人語(雑談・独り言)] | 記事 | コメ (2) | トラバ (0)

2009.07.26

ニンジンがニンジンであるように

久々の新聞発行になってしまいました。ネタが尽きているワケではないですが、なんとなく気ぜわしい日々が続いていて、ついつい発行が滞るという事態になっております。発行を楽しみにお待ちの全国1千万の皆様にはご迷惑をおかけしており、大変申し訳ございません。

さて、本日は、うちの娘ネタをお送りいたしましょう。

先週、娘と二人でお風呂に入っていたときのこと。

娘:「お父さん、昨日「地球っ子クラブ」でね・・・」
私:「いや、ちょっと待て「地球っ子クラブ」って何よ?」
娘:「「地球っ子クラブ」は「地球っ子クラブ」やんか・・」

と、まあ、ここまでは普通の会話。で、このあとぼそっと娘が付け加えました。

娘:「ニンジンがニンジンであるように・・・」

うわ。なんか哲学的なご説明ですな。

私:「どこで覚えんねん、そんな言い回し・・」

ま、ニンジンがニンジンであることを疑う人はいないワケだから「地球っ子クラブ」も「地球っ子クラブ」でいいじゃないかということを言いたいのでしょう。
いや、まさか究極のトートロジー?

やあ、なんか小学生って面白いです。


娘の話ついでに、昨日聞いた娘の将来計画をご披露しておきましょう。

〜25才まで バトミントン選手として活躍
25才〜45才 ピアニストとして活躍
45才〜65才 食品サンプルの職人として活躍
65才〜   農業をやる

ということでした。とりあえず興味のあるものを順番に並べただけのようですが、微妙に年代ごとにきちんと計算して割り振られている感じが秀逸ですな(親バカ)

しかし、実現したら、鮮やかな転身を続けるカッコいい人生になりそうです。

私が子供の頃、40才より先のことなんて、全く想定外だったけどな。

2009 07 26 12:11 午後 [01人声人語(雑談・独り言)] | 記事 | コメ (1) | トラバ (0)

2009.07.08

ザ・コレクターズがイカしてる件

春に病気をして以来、朝ジョギングを始めた話はもうしたような気がします。

ジョギングのお供として、うちの記者に勧められたインターネットインタビューラジオマガジン「池袋交差点24時」を聞いています。聞いてみるとこれがなかなか面白くて、どうやらどっかのバンドのリーダー加藤さんとギタリストのコータロー君がしゃべっているということが分かりました。

んで、しゃべりの面白いオヤジ2人はどんな音楽をやってんねん、と思って、これもうちの記者に勧められた「OH! MY MOD」なるアルバムを買って聞いたら、これがかなりイケててハマりまくってます。

バンド名は「ザ・コレクターズ」。キャッチーなメロディに、小っ恥ずかしくなるほどロマンチックな詩をのっけて歌ってます。いや、どれもステキな曲ですよ。今ハマっているのは「恋することのすべて」「たよれる男」「世界を止めて」など。
「世界を止めて」なんて、発表年が1993年っすよ。えーと、16年前か・・・。編集長はこの曲を知らずに過ごした16年を猛烈に恥ずかしく思います。っていうか人生やり直したいぐらいな気分です。

コレクターズは結成20年を超えているので、今から追いかけるのは大変ですが、まあ、ぼちぼちと追いかけてみようかと思っています。

しかし、なんで知らずに来たかね・・・。今となっては不思議だわ。

2009 07 08 07:00 午前 [01人声人語(雑談・独り言)] | 記事 | コメ (1) | トラバ (0)

2009.07.06

投票済証を支援したい件

さて、言わずと知れてますが、7月5日は兵庫県知事選の投票日でした。
なんというか、もう一つ盛り上がらない選挙だと思っていましたが、
前回よりも投票率が上がったみたいで・・・よかったよかった。

(とはいっても36.02%だったそうですが・・・。みんなちゃんと投票に行きましょうね
もし投票したいと思う人がいなくても、白票をきっちり入れてくるように・・
それも、自己主張の一つです。)

さて、編集長は選挙権を行使しに、投票所に行きましたよ。

で、帰りに「投票済証」なる小さい紙をいただきました。
この「投票済証」。毎回もらうんだけど、何の役に立つのかなと思ってました。

んで、投票所の人に聞いてみた。

「これって何かの役に立つんですかね?」
「いや、立ちませんね(笑」

ありゃりゃ、言い切っちゃったよ・・・。いいのかな・・・。

ということで「あさみ新聞」では、この投票済証そのものの存在意義を支援するプロジェクトを考案しようと考えました。まあ、いわゆる「投票済証エイド」ってことで・・・。

090705tohyozumisyo

とりあえず、支援の意味をこめて写真を掲載しておきます。
「編集長は投票に行ってきたぞ」ということで・・・。
ま、このようにブログで役に立つということが、これで分かりましたね。

さらに、垂水区の花が「ゼラニウム」であるということも分かる・・・・・とか。

ところで(仕込みネタでも何でもなく)、今思い出した。
投票済証を持っていくと、神戸サウナがサウナの割引をしていたような・・・。
少なくとも去年はやってたぞ・・・。

読者の皆さんも、他に投票済証の楽しい使い方を思いついたらお知らせ下さい。
次の選挙でやりましょう。

ではでは。

2009 07 06 08:30 午後 [01人声人語(雑談・独り言)] | 記事 | コメ (5) | トラバ (0)

PowerBookのハードディスクを救出した件

更新が滞っているのは、先日ここで募集させていただいた獣害レンジャーに行っていたのと、その後のどたばたにより、なんとなくパソコン前から遠ざかっていたからなのですが・・・。

この間「獣害レンジャー」とか「小規模集落元気作戦馬瀬地区」とか「GoogleSketchUp講座」とか、いろいろやってました。パソコン回りもちょっと使い勝手が悪くなってたので、HDを買ってみたり、マウスを買ってみたり・・・。

そういえば、うちの奥さんのPowerBookG4が立ち上がらなくなって、南谷プロジェクトが滞ってたりしてましたよ・・・。

PowerBookのHDデータ救出。知り合いのデータ復旧のプロに聞いたところ、8万円かかるとのこと。ハードディスクの換装だけなら3万円だとか。ハードディスクの入れ替えなら見よう見まねでできるので3万円を払うつもりはもともとないんですが・・・うーん。データ救出に8万円ではなあ・・・。いや、もちろんデータは8万円以上の価値はあるわけだが・・・。

と悩みつついろいろPowerBookをいじっていたら、なんとターゲットディスクモードでは起動が可能なことを発見。

これ幸いと、手持ちのMacBookにFireWire接続したら、マウントされないもののディスクとしては認識している様子。すかさずディスクユーティリティーを起動してディスクチェックをかけたのだけれど、修復不能みたい。

で、こういうのには「ディスクウォーリア」がいいと聞いていたので、イチカバチかこれをamazonで購入しました。

2日後「ディスクウォーリア」が届いたので、さっそくPowerBookをDVDから起動しようとしたけど、途中で固まって動きません。・・・。

で、やっぱりターゲットディスクモードで起動して、MacBookからディスクウォーリアでディスクチェックをかけたところ・・・。おお。なんとか修復するではないですか・・・。これでとりあえずPowerBookのデータは全て救出しました。次はハードディスクの換装が必要なんだけど・・・。とりあえず動くようになったので、だましだまし奥さんは使ってます。(危険きわまるなあ・・。バックアップの大切さは、とりあえず身にしみたようですが・・)

ま、そんなこんなで元気にやってます。またぼちぼち更新しますわん。

2009 07 06 01:43 午後 [01人声人語(雑談・独り言)] | 記事 | コメ (4) | トラバ (1)

2009.06.26

恋人岬の床仕上げがハートの件

最近、毎朝ジョギングしていることは既にどこかに書きましたよね。

垂水区平磯に恋人岬(って言っても埋め立て地ですよん)ってのがあるんですが、たいがいここまで走って帰ってくるというコースになっております。結構汗をかいて気持ちがいいです。

さて、前から気になっていたのですが、恋人岬だからなのか、地面にでかいハートが描かれております。ジョギングついでに写真をとってきたので、皆さんにご紹介しておきましょう。

Koibitomisaki1

わかりにくいですかね。写真小さいしね・・・。
実はハートは二つあって、小さい方は写真が撮りやすいです。

Koibitomisaki2

こっちは分かりやすいでしょ?
んで、もしかして、これくらいの大きさならばGoogleMapで見えるのではないかと思ってみて見ると・・・


大きな地図で見る

ありゃりゃ。わかんねーや。ちょっと写真が古いです。工事中だ。
残念だわ。

ということで、恋人岬の写真をのっけときます。向こうに見えているのが言わずと知れた明石海峡大橋(※)です。

Koibitomisaki3

※「明石大橋」って言うと明石や舞子の皆さんに怒られるので注意してね。「明石大橋」は別に明石にあるんです。豆知識でした。

2009 06 26 07:00 午前 [13芸術欄 (まちの素描)] | 記事 | コメ (0) | トラバ (0)

2009.06.25

ポール・スミス発見の件

ポール・スミス発見の件
京都三条にてポール・スミスうだつを発見しました。
久々に携帯よりアップ♪

2009 06 25 07:07 午後 | 記事 | コメ (0) | トラバ (0)

兵庫で曾禰達蔵に出会った件

23日はK社のM氏と、今やっているコンペの件での打合せ。駒ケ林は塩屋から車で行くと、かなり近いことが判明しました。15分かからなかったよ・・・。元漁村集落といっても、意外と便利なところにあるんだなあ。

打合せはなかなかの進展具合で、さすがM氏。M氏の博識と視野の広さには、いつも感心させられます。かなわんなあ、あの先輩には・・・。ちょっと話をするとずるずるずるっといろんなアイデアが飛び出してきます。きっと引き出しの多い人なんでしょうね。ここんところえらい忙しいみたいで、体を壊さないか心配です。でも、まあ、これからどんどん活躍する人なんだろうなあと思っています。

先日の水谷ゼミの感想や、M氏のオフィスにできるカウンターテーブルの話などをして、駒ケ林をあとにしました。打合せ後、元町の会社に行く途中、兵庫でレンガ建築を発見しました。相変わらず携帯写真ですが・・

Ishikawa_honsya_2

しかし、車窓からとはいえ、最悪な写真ですな。なんなんだその電柱は・・・。

戻ってから調べたら、設計が曾禰達蔵でした。ふーん。こんなところ(と言っては失礼だけど)に曾禰達蔵が・・。と、ちょっとびっくり。

詳しくは、この建物を所有する石川株式会社さんのサイトをご覧下さい。
石川株式会社::本社社屋について

曾禰達蔵さんを知らない方のためにちょっとだけ解説すると、曾禰達蔵さんは辰野金吾(東京駅を設計した人ね)の大学の同級生。つまりジョサイア・コンドルの弟子ってことになります。当時は工部大学校造家学科といいました。現在の東大建築学科の前身ですが、学科名を見ていただくとわかるように、まだ建築という言葉もない時代のお話なわけですね。

その後、三菱などを経て、後に中條精一郎とともに曾禰中條建築事務所を設立して活躍します。第二次世界大戦の終戦前(1937年)に亡くなってしまっていますが、それでも生まれが嘉永5年といいますから(いつなんだそれは・・・※)、けっこう長生きされたんではないでしょうか。

ま、なんか辰野金吾って言われたら信じちゃう感じがありますよね。この建物。
まだまだ知らない建物がいっぱいあるなあ。

毎日が発見で楽しいです。


※調べました。嘉永5年は1852年らしいです。

2009 06 25 07:00 午前 [06経済欄 (業務レポート)] | 記事 | コメ (0) | トラバ (0)